今回はゲーム関係で「PlayStation」をテーマとして今と違う!という箇所をご紹介します。 まずはこちらを見てください。

現時点で発表されている本体の売り上げの数で、もちろん圧倒的にPlayStation2が1番売れていたことがわかる。 特に日本ゲーム市場においてはなおさら影響を与えていたことがわかりますが、今回テーマとするのが、

なぜPlayStation2が売れたのか?

これを個人的に分析した結果、時代面関係も含めて所有している人事情も触れたりするところもあったのでご紹介したい。

 

PlayStation2が売れた理由全てのデジタルエンターテイメントが揃っていた

 

今と違って「ネット」とか普及していない時代であったが、このPlayStation2を買えば当時最先端といえるデジタルエンターテイメントに身近に触れることが可能だったといえる。 中でも買うきっかけが前作のPlayStation1の関係もあるのだが、それ以外だと主に挙げられるのが以下のものが多い。

 

  1:PlayStation1のゲームもプレイできる

これは超うれしい目玉だったといえる。 当時の子供も事情知らなかったら「PlayStation1のゲームをお別れするのか」と思っていたらまさかのPlayStation1のゲームからさらに専用コントローラー、メモリカードも扱えたことが大きい。

 当時「ゲームショップ」として中古を扱うゲーム店も至る場所で展開されていた時代である絶頂期だったことから「PlayStation2」を通じて遊んだゲームタイトルも凄い多かったと思われる。 

さらに拡張機能でボリュームアップ

PlayStation2からはオプションパーツとして「BBUnit」も存在していた。 これを購入し装着しネット環境があれば「オンラインゲームができる」ということで、当時有料オンラインから無料オンラインとあったが、どれも優れており特にMMORPGである「ファイナルファンタジーXI」は当時プレイした方だと世界観広さに衝撃を与えた方も多いだろう。 他にも有名だったのが「モンスターハンター」であり、PS2でオンライン機能がなかったらおそらく登場するのも遅かったかもしれない。

 

  2:DVDビデオが再生可能だった

これ間違いなく2000年入ってからVHSからDVDへ大きく普及するきっかけとなったのもまさにPlayStation2だといえるところもあります。 当時VHSとDVDはサイズだけ違うかと思ったら、「音声=英語・日本語吹き替え」から「字幕=日本語・英語・吹き替え用字幕」と設定可能で途中切り替えも可能だったことで「これだけでも映像の革命!」だったといえる。

 これが後に2000年代から短期間でDVDを普及させたきっかけとなっている。 当時DVD出たばかりの頃に「初めてDVD映画見た=PlayStation2で見た」という方も多かったといえる。 そのためいち早くレンタル店を展開しているTSUTAYAもVHSから

DVDへとすぐに切り替えて置かれていたのも有名である。

DVD再生関係だったら2005年9月に発売された「ファイナルファンタジーVIIアドベントチルドレン」もあれだけ売り上げを出していたのもPS2所有している方が多かった理由としても挙げられている。 当時「ファイナルファンタジーVIIアドべトンチルドレンはPlayStation2でしか再生できない」という噂まで出ていたほどである。

 

懐かしい話:PlayStation2とDVD編

 PlayStation2用リモコン

 目玉となるのがDVD再生だったのも1つだったことで、当初オプションとして店頭ではPlayStation2本体が売られている一方で「PlayStation2リモコン」も販売されていた。 これ誰もが忘れていたオプションであったが買う人も結構いたんですよね。

 映画見た後でそのままテレビ番組切り替えると…

 これも普通にPlayStation2とテレビをアナログ回線で接続していた方なら経験したことがあるはず。 PlayStation2でDVD映画は見れたが音量が通常より高くしないと聞こえないため、最低でも普通のテレビの音量レベルが「10以上」がノーマルぐらいとなっていたことで主に音声レベル15~20にしてみていたことが多い。 そのため「映画見終わったら、音量上げているのを忘れてそのままテレビ番組に切り替えたら大音量でびっくりする」などこれ絶対に何度か経験した例もあったりする。 夜こっそり見ている人とかだと大変だったりするため、PS2で映画見る時はイヤホンとかヘッドホンつけて見ていたことが多かったりする。

 

  3:前回と同じく音楽CDも再生可能だった

これはPlayStation1の時に有名だったのが「ゲーム」以外にも「音楽CD再生可能」だったことであり、もちろんPlayStation2でも再生可能だった。 これもカセットテープからCDへ切り替わる時代のPlayStation1時の目玉だったと思われるが、当時の世代関係で音楽CDは「CDラジカセ」で聴いた人の方が多かったりする。  PlayStation

2になった時代でもまだ「テレビ」、「ビデオ」、「音楽」と分けていた家庭も多かったが、まさにPlayStation2が全部結び付けていたことは大きかった。

 

時代面:PS2が売れた最大の理由

 これらのデジタルエンターテイメント関連がすべて揃っているから買った方も多いというのは分かったと思いますが、もう1つ「PlayStation2を買った理由」として、既に持っていたが「買いなおしでわざわざ新品を買った」という人もいたぐらいです。 その理由は「当時の大半の若い人は特に言えたが、今だとほとんどが言い切れない」理由でありそれが、

1人暮らしに必要なアイテムだった

自分もそうだったのですが「1人暮らしする上でこれ1台あれば怖いものなし!」といえるぐらいの必須アイテムだったりする。

 一人暮らしする中で最初に揃えないといけないのが「部屋の中の趣味の物」となるのだが、自分よりも先輩だったら「テレビやラジカセだった」、「テレビとファミコン」とかあるいは「テレビのみだった」に対して、

PlayStation2あれば家で楽しめる娯楽はすべてそろっていた

ということで新生活スタートと同時に買ったという人も多い。

 自分も新生活する上でもこのPlayStation2に凄い助けられたところも多く、このように子供だけじゃなく社会人として生活する上での若者の新生活などの応援とした上で買っていた方や中には若い新婚カップルで新生活で購入なども多かったりする。 

 これあったら「CDラジカセとか音楽プレイヤー」や「DVD再生プレイヤー」など

分けて買う必要もなくなることで、このPlayStation2持っていたら怖いものなしといえていたのも確かです。 2003年の時点だと「カラーバリエーション」として3色が追加されたりとこれに女性の方も購入したという方も多かったようである。

 さらにゲーム箇所においても以下の部分も関連していたことで買う理由の1つだったということが多い。

 

  PlayStation2時代と感じさせる光景

 ゲームに感動し涙する

ファイナルファンタジーX(2001年発売)

最初にPlayStation2のゲームで感動したといえば100%「ファイナルファンタジーX」だった方も多いはず。  途中のストーリーの展開などから行き着く先の結末において特にエンディングは超感動を呼んだ。 この10作目以降からなぜかファイナルファンタジーは「感動的なロールプレイングゲーム」というのは消えたりしている。

  おそらく最後に泣いたファイナルファンタジーも10作目だったような…。

 

メタルギアソリッド3(2004年発売)

これも今なお感動する「ステルスアクションゲーム」だといえる。 おそらく過去のメタルギアソリッドや今後の続編を含めても人気が高い上で感動を呼んだ作品としても挙げられる。 メタルギアソリッドも3作目あたりから感動を出していた形で4作目はストーリー面のフィナーレを迎えるまで感動が多かったといえる。

 

 グラフィック技術高さを見せつける

     

PlayStation2発売と同時に出てきていたタイトルもまさに「このゲーム機だからこそ」というようにアピールする上で初期タイトル作品だった。 当時はこういった最初に発売するタイトルを見てから「今開発中の人気タイトルも期待を寄せる」ところもあるなどまさに絶頂期時代に味わえたものだった。 しかしこのグラフィック箇所のアピール面はグラフィックが進化する上であまりワクワク感が減ったのも事実です。 おそらくこういったものはPlaystation3までだったんじゃないかな。

 

 リアルすぎる!コンバットゲーム

SOCOM US.NAVY SEALs(2003年発売)

これも時代の背景に「対テロ戦争時代」である中でも戦争映画が自粛する中でゲーム面では描かれて注目されていた。 これは後にPlayStation3時代では特に注目されていたことであり、オンラインゲーム時代が到来する中でもコンバット系ゲームは特に楽しませる特権があったといえる。 今作のSOCOMも初登場時は軍が協力して制作していたことでグラフィックからもリアルさが高いことでも話題だった。  1作目の初回パッケージでは「ボイスチャット」が付属されていたなど、これもパッケージゲームだからこそ実現できたおまけといえる。

あの名作もここからだった

グランド・セフト・オートIII(2002年発売)

今でも人気高い「グランドセフトオート」だが、そのグランドセフトオートが日本でも凄い知名度獲得と同時に爆発ヒットした作品もこのPlayStation2で販売された「グランドセフトオートIII」からだった。 当時だと驚いた方が多いのが「自由度が高すぎるゲーム」だったところであり、アクション要素から車を乗る上でレースなどから特に犯罪をテーマとしていることで「日本だと当然作れないゲーム」としてこれが洋ゲーブームの火付け役となった。 ゲーム箇所で「オープンワールドゲーム」としても話題になったが、同時に日本のゲーム業界は「年齢規制」というものも現れたのもここからです。 個人的に「パッケージでゲームを決める」という常識を変えちゃったのもこのゲームだったようにみえます。

 

 雑誌も多く出版されていた

 当時「新作ゲーム情報」といったらゲーム雑誌が中心だったことで、特にPS2時代だと月刊誌などで分ける中で「PlayStation2特集」と分けていたのも懐かしい。

 週刊ファミ通から、ファミ通PS2、ファミ通WaveDVD、電撃PlayStation、電撃PS2、ドリマガ、ゲームラボとか色々とゲーム関連の雑誌が出版されていた。 これ今だと週刊ファミ通ぐらいしか残っていない。 特にDVD付属されていたケースだと「制作スタッフインタビュー」や「アメリカゲームショウ:E3」から「東京ゲームショウ」などの様子がレポートされた映像などからも収録されていた。

 中でも一般来場できないアメリカゲームショウ「E3」もこのゲーム雑誌が主に取り上げていたことで知った方も多い。 今だと雑誌に付録のDVDだけでも懐かしい。

 

  最後に:今と違うところ

 なお現在だと今回紹介したところは「スマートフォン」1台となっており、ゲーム機が娯楽のすべてとは言い切れないや、中には「娯楽をすべてスマホに入れている」という方もいるため、これが2010年代からは特にゲーム市場を大きく動かすことになる。 スマートフォンは小型端末機である上でネットや電話以外にも「カメラ」、「音楽」、「映像」、「ゲーム」と「電子書籍」、「SNSサービス」から端末上で起動できるフリーアプリなどすべてそろっているため、これが最も違うところだろう。

 先ほどのゲーム雑誌も今だとファミ通ぐらいしか残らなかったのも2010年代にネットの普及から動画サイトの関係もある上でから最終的に雑誌も出版終了することになり、2020年代に入るとあの「電撃PlayStation」も終了したことから時代を感じさせるところでもある。 

 今後ゲーム機においてどういったエンターテイメントを見せていくのかが気になるところです。