妻・ひろ子にそう言われ普段は生真面目な光秀だが、満面の笑顔で言った。 
「そうなのだ。義輝様がご存命の時に申されていた様に大和・一乗院に参ったら、そこには覚慶様や側には藤孝も居ってのう。丁度、覚慶様が心の病で伏せっておられてのう。
それで一乗院の近くに、まだ若年ながら、なかなか腕の良い串田節庵先生という薬師が居られてのう。覚慶様のためにい粉の煎じ薬をこしらえて下さったのだが、その
煎じ薬を覚慶様に飲んで戴くために、その先生もワシらも、寺の人達も苦労して
漸く覚慶様に、その煎じ薬を飲ませる事に成功し、心の病が癒えたので、寺を抜け出すために大芝居を打ったのだ。つまり、覚慶様が僧侶として寺に居る間は三好三人衆や松永久う武門の掟があり、覚慶様の場合も例外ではなく寺に居る間は、手は出せないが覚慶様が室町幕府の将軍職を継ぐという志を持って寺を出るからには三好・松永も攻めてくるから敵
を油断させるために大阪盛をやったのだ。」
  光秀が大和・一乗院に入ってから今までの経緯をそう言うと妻・ひろ子と老臣の庄兵衛が口をそろえて・・・・ 
「殿、それでその後、殿と覚慶様は、どうなったのでございまするか?}
「敵を油断させるための酒盛りだったが、三好・松永の手勢も我々が寺を抜け出す事を察知したのか慌てて攻めて来たのだが、何せ相手は千人を超えていて、こちらはワシと藤孝と寺の者達と、それに連なる近隣の門徒衆を合わせても、せいぜい三百 多勢に無勢だと思うていたのだが普段は虫も殺さぬような僧侶や門徒衆が、まるで僧兵の様に一丸となったおかげで覚慶様もワシらも何とか無事に寺を抜け出す事ができたのだ。無論の事ながら覚慶様を背負いワシは鉄砲で、藤孝は弓矢で相手の追撃をかわして、一乗院の坂を下り、
大和と山城の国堺までようよう辿り着いたので覚慶様を背中から下ろし、身柄を藤孝に預けた。なぁに覚慶様の御兄上・足利義輝様に永らく幕臣として仕えてきた藤孝の事だ京にさえ辿り着いたら旧・幕臣の方々も、きっと藤孝が共に参れば皆、諸手を挙げて歓迎してくれるだろうと、そう思うてのう。何せ覚慶様は室町幕府将軍家の正当なお血筋である。」