俯いた拍子に、ふと武雄は腕時計を見て一瞬、その場に佇んで愕然となってしまった。
  もう既に嘉明から受話器を受け取って、ひろみと話し始めてから、二十分以上も
恐らく経過していたのであろうか、電話を自分から強引に切ってしまえば終わりなのだ。
  しかし、武雄は自分の声が聞きたいと思っているひろみに甘えていたのかも知れない。「それじゃ、もう少しだけひろみちゃんと話そうか、と言っても何から話そうか、あっ
そうだ、それじゃあね、ワシが雄平さんと初めて会った時の事を話そうか。」
  武雄は、そう言った後、妙に感慨ぶかげに二十年ほど前の話を始めた。
「ワシが初めて雄平さんに会ったのは、忘れもしない伊豆に釣りに行った時の事だった。ワシは、もともと土佐の海で鰹を釣っていたんじゃが、あの年は丁度、土佐沖の海がよ
台風の影響で荒れてなぁ、仕方がないからワシらは漁場を求めて気候がよく似ている
伊豆に行っては、魚を釣っていたんじゃ、そして八月二十一日、ワシはいつもの様に漁師宿を四時過ぎに出たら、船着き場に人の気配がして、よく見るとその人が雄平さんだったというわけじゃよ、いくら夏と言っても最初に雄平さんを見た時はびっくりしたよ。
だって、あんな早朝に船着き場にいい年をした男が一人で居たら誰でもびっくりするよ」
  武雄の話は、ひろみにとっては非常に興味深い話で受話器を持ちながら、身体を乗り
出すようにして聞いていた。
  何故なら  たった今まで、ひろみは武雄と雄平の出会った当時の事を全くと言って
いいほど雄平から聞かされていなかったからである。
「私は、そんな事少しもお父さんからも聞かされてなかったし、今初めて知ったのよ。」「話は最後まで聞いて貰いたいなぁ、これから面白くなるのになぁ、これから・・・」
  武雄は、そう言うと何時の間にか嘉明が持ってきた冷たいウーロン茶を一気に飲み干すと、もっと武雄と雄平が出会った頃の話が聞きたいと思っている  ひろみに話を続けた。「それでな、これは後から聞いた話なんじやが、雄平さんは当時、南関東の金物屋の組合
の慰安旅行で伊豆に来ていたらしい、それで普段から働き者だった雄平さんだけが早起きして浜辺をさまよっていたのを、ワシがみつけたんじゃよ」
「それで知り合いになったというわけね、でも私が秋田から、お父さんのところに養女として貰われて来てから、もうすぐ二十年になるらしいけど、お父さんにそんな魚釣りの
趣味があったなんて、私は今の今まで全然知らなかったわよ。」
  ひろみは、自分が全く知らなかった雄平の横顔を今、垣間見たような気がしていた。
「釣りの趣味を持っている人は少なからず、心の奥に後ろめたいものを感じている
もんなんじゃ、ワシらは仕事でやっとったからな、でも雄平さんらの場合は殺生になる」