藤孝は、そう言って光秀を励まし、さらに言葉を続けた。
「なぁに、心配には及ばぬ。この大和・一乗院の急な坂道を下り敵の攻撃を何とか凌いで大和さえ出て山城(京)まで辿りつけば旧・幕臣の方々や心ある公家達も大勢居る。その者たちは覚慶様を決して粗略には扱うまい。いざとなればワシは、その者達を頼ろうと
思う。中でも義輝様の重臣であった和田惟政殿や京極高吉殿も喜んで覚慶様を迎えてくれよう。それに光秀、京にはお前の親しい公家達も多い。兎に角この寺を出るのが先決だ。」
 藤孝は光秀の肩をそっと優しく叩き、そう言った、
「そうだのう、この大和・一乗院という寺、を出なければ何も始まらぬ。たとえ何万人の
三好・松永の手勢の攻めを受けようとも、戦は、やってみない事には判らぬからのう。」
 光秀は、かつて圧倒的な数の軍勢を率いながら織田信長の精鋭部隊の前に桶狭間で散々に敗れた今川方の軍師を勤めていた経験があるだけに余計に、そう思ったのかも知れない。
「桶狭間の合戦の時は、ワシが周到な計画を立てたが、義元様はじめ今川の方々は大軍勢
ゆえに皆、心の片隅に油断があったから織田方の精鋭部隊に気付かなかったかも知れぬ。
じゃが此度は、あの時の事を逆手に取ってくれようぞ。幸い我が手元には尾張の生駒屋敷で買い求めた雨火縄がある。これさえあれば少しの雨ならば鉄砲が使えるのう藤孝。」
 光秀は、だれごとの様に桶狭間の合戦の時の事を振り返り今度は、あの時の織田軍の
様な事を自分たちでやろうという企みを抱いていたのである。
 やがて夕刻なり、いよいよ光秀と藤孝が覚慶と共に大和・一乗院を出る時が近づいた。
「明智様、細川様、酒宴の準備が整いましてございます。」
  例によって小坊主の小念が小賢しく二人にそう言った。
「さぁ皆の衆、今宵は御門跡様の病が御本復されて、床上げとなった祝いの酒宴じゃ
この様に荒れた古寺で何もありませぬが、さぁ節庵先生、光秀様、藤孝様どうぞ上座へ。
皆の衆、この方々が御門跡様の心の病を治して戴いたのじゃ。感謝して大いに飲もうぞ。』