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京都府舞鶴市、今から四十年ほど前は、シベリアからの引き上げ船が辿り着いた港
舞鶴湾がある。 信子が舞鶴に着いたのは、熱海から新幹線に乗って五時間ほどたった
頃であった。
信子はまず、舞鶴市役所に行き、戸籍抄本のコピーを受け取った。「あった」と信子は思わず興奮した、そこには確かに清美が立ち聞きした通りの事が当然だが、克明に刻まれていた。
信子は、年配の人に聞いたら、何か手がかりが掴めるのではないかと思い、市役所で一番年配の石田忠信に会うことにした。 石田は、最後の旧制中学を卒業した後、すぐに舞鶴市役所に入ったので、もう今年で四十二年になるという大ベテランで、舞鶴の事なら何でも知っている「舞鶴の生き字引」と言われている。
信子は石田に案内されて、特別資料室に入った、そこには、明治から昭和にかけての
舞鶴の事件や出来事が記録されている資料が山のように積まれていた。
「まぁ、もう少し、まともな資料があったらええんやけどなぁ、こんなにようさん
あるのに全然、役にたっとらへん」と、石田は信子に済まなそうな顔をした。
「そんな事、ありませんよ、いい資料があると思いますので、もう少し見せて下さい。」「そうか・・・・・・それやったら、なんぼでも見たらええ、そやけど資料でおかしな
物があったり、判らないことがあったら、すぐにワシの部屋に来たらええからな」
石田は、そう言い残すと、信子を特別資料室に残して、広報室に引っ込んだ、
「口では、あんな事言っちゃったけど、大丈夫かしら正直言って私、自信ないわ」と、
信子は、呟くようにそう言いながら、資料を整理していた。
暫くして信子は山のような資料の中から「ヤミ米事件」に関する資料が出てきた
ヤミ米事件というのは、戦後の食料難に不正な手段で一部の業者が暴利をあげたという事件で、その中の一人に杉田留吉という名前があった。
「杉田留吉?どこかで見た名前だと思ったら、あいつのお爺さんじゃないの」
そうだとすれぱ、何かの手がかりになるかも知れないと信子は思い、再び資料を持って石田に会いにいった。
「石田さん、面白い資料を見つけました。」と信子は、ヤミ米事件の資料を石田に見せた
すると、石田は何も言わずにただ黙っていた。それはまるで、信子がヤミ米事件の資料を持ってくる事を予測していた様だった。しばらくして石田が信子に・・・・・・
「判ってたんや、あんたが多分それを持ってくる事はな、そやから儂は、わざと何も言わんかったんや」と言った。
石田のこの言葉を、信子にはどう解釈できただろうか? それは判らないが、少なくとも、「さすが舞鶴の生き字引」と思ったに違いない。
この事で信子は、少しだけ卓を疑って、「ひょっとしたら、あいつにも・・・」と心の片隅で思い始めていたが、一方ではまだ「あいつに、そんな大それた事ができるものか」と思っていた。
信子は石田に挨拶をすると市役所を出て、卓の実家に向かった。