目聡い節庵は快念の側に居た光秀に気付いた。
「いやぁ流石は節庵先生じゃ、こちらは越前の朝倉義景殿の家臣にて明智十兵衛光秀様と
申す御武家様に、ございまして実は拙僧も最近になって知ったのですが、この寺の御門跡様は覚慶様と申されるお方で、何と室町幕府第十三代将軍・足利義輝様の御舎弟で、
室町幕府の正当なお血筋いずれは幕府を再興し、征夷大将軍をお継ぎになるのです。」
「なるほど、それでこの方が此処に居られるんやね。それにしても、この寺が幾ら格式が高いとは言え御門跡様が そんな尊いご身分のお方やったとは知りまへんでしたなぁ。」
すると今まで黙って二人の話を聞いていた光秀が突然、口を開いた。
「節庵先生、すべては亡き御兄上、足利義輝様のご意志によるものでございまする。
数年前それがしが朝倉家の脚分として、越前・一乗谷と京を行き来していた頃 この寺で
覚慶様の側近くに居る細川藤孝殿と共に足利義輝様に幾度か拝謁したことがありましたが最後に拝謁した時、義輝様は、それがしと藤孝殿を枕元に呼び。まるで遺言の様に「
『良いか、もしや余の身に変事がある時は大和・一乗院に、我が実弟の覚慶を僧侶として預けてある。一乗院の様な格式の高い寺院の門跡なら幾ら野心の高い松永久秀とは言え、手を出すことはすまい。恐らく松永・三好一派は国元の讃岐か阿波の者を担ぎ、傀儡の将軍にするであろうが、我が実弟の覚慶こそが室町幕府の足利将軍家の正統な後継者である。いずれは寺から出してやらねばなるまいが、その時は必ず松永・三好一派の手の者がおそってくる そこで、その方達に覚慶を守って貰いたい。覚慶を頼む。その方達を信じておるぞ』と、それがしと藤孝殿の手を握り申されたのでございます。」
光秀は、自分が覚えている限りの義輝の言葉を一介の薬師の節庵に話した。
それは、恐らく覚慶の一日も早い心の病の本復を祈願していた光秀の意図でもあった。
「左様でございますか、ほんなら此度の御門跡様の心の病の治療には、あんまり時は掛けられんという事でこざいまするなぁ、それでは早速、薬草を準備して御門跡様を看る
と致しましょうか、快念様ご案内をよろしゅうに・・・・。」
節庵は、そう言って光秀の居る部屋から出て快念の案内で覚慶の居る奥の間の前に
ゆっくりと立った。
しばらく静然とした時間が流れ、やがて・・・
「御門跡様、薬師の節庵先生がお見えになりました。襖を開けても宜しいですかな。」 快念が、そう言って襖を開けようとした時、その部屋から藤孝の声がした。
「ははぁ、た、ただ今開けまする。暫くお待ち下さいませ。」
藤孝が襖を開けると、布団を頭からかぶった覚慶がそこに居た。
「御門跡様、ご気分は如何でございまするか?と言うても、そんな事をされている様では
ご気分がええ訳ないわなぁ。まぁ取り敢えず、お脈を取らせていただけませぬか。」
「ふ、藤孝よワシは誰にも会いとうないと申したではないか、しかし誰じゃ薬師の節庵を
勝手に呼んだのは?ワシは今は本当に誰にも会いとうない・節庵、帰れ 帰ってくれ・」