光秀は、二人の小声の会話を黙って聞いていた。
 ただ幾ら小声とは言え二人の会話は、恐らく側に居る覚慶には聞こえているだろうと
思っている機転の利く光秀は時折、大きな奇声を出し 二人の会話が聞こえない様にした。
「御門跡様、もうそろそろ御寝所にお下がり下さいませ、それがしも久し振り藤孝にも
会う事が叶って今宵は嬉しい夜でございました。また明日は快念様が京の曲直瀬家にて
学びし大和の薬師をこの寺にお呼びになると仰せにございまする。快念様は心の病と
推測されておりまするが、もっと恐ろしい病かも知れませぬ故、一度その薬師に診て貰いになりませ、そのために早う今夜はお休み下さい。」
 覚慶は光秀にそう言われ、また蚊の鳴くよう小さな声で・・・・
「光秀、本当にワシの病の事も承知の上じゃと申すのか?それ程までにワシの事を思うて室町幕府の将軍職に就け共に上洛するというのなら、将軍になりたい。」
「誠にございまするか?誠に将軍になって上洛する気持ちがお有り二なりまするか」
 
 光秀は、漸く覚慶に自分の熱い思いが判って貰えた様な気がして、心から嬉しかった。
 「そうと決まれば話が早い。明日は薬師に診て貰います故、今夜は粥でもお食べになりご寝所で、ご緩りとなされませ。小念、御門跡様を早うご寝所までお連れ致せ。  」
「ははぁ・・・・畏まりました。ではさっそく御門跡様をご寝所にお連れ致しまする。」
 そう小念に指示したのは、他ならぬ快念であった。
 現在でもそうであるが、日本の寺院の大半は代々の世襲が習わしとなっているが同時に寺は、その寺を守ってきた檀家(門徒)たちのものである。
 しかし室町時代から江戸時代にかけて寺は皇族と武家体裁の良い逃げ場所だった。
 この大和・一条院も覚慶を筆頭に安土桃山時代から江戸時代にかけて、数多くの皇子が
仏門に下り、門跡となっているが、この時ばかりは寺の門徒達が推していた事もあり、
この快念が覚慶の後継をもくろんでいた。
「左様か、それならば今夜はこのまま寝る事にしよう。」
 覚慶は、そう言うと小念に促されるままに本堂の奥にある寝所に下がっていった。
「そうか、なるほどなぁ・・・・。快念様はワシの上洛に対する熱い思いに賛同して
くれているものだと思うていたが、快念様は覚慶様が、この一条院を去れば、その後の
門跡に座ろうという事か・・・」
 そう光秀は心の中で呟いていた。
「されば明智殿、古寺で何もありませぬが、この寺の心ばかりの精進料理を準備致しておりますので、今宵はそれなと、お召し上がりになり長旅の疲れを湯にでも入り落として
ご緩りとなされませ、今宵は拙僧も越前や美濃の話もお聞きしたく存じまする。」
 快念は何と京の話ではなく、光秀の生まれ故郷の美濃や、いま住んでる越前の話が聞きたいと言った事に光秀は半分、驚いていた。                                    2
「快念様かたじけなく存じまする。それがしの為に心のこもった精進料理にて。もてなして頂き、この光秀、身に浸みておりまする。」