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「御門跡様、お成に、ございまする。」
 その時、二人のいた薄暗い本堂に藤孝の澄んだ声が響き二人の目の前に覚慶が現れた
  薄紫の衣を白装束の上から羽織っただけの出で立ちの覚慶は、いかにも格式のありそうな高僧に光秀の眼には映っていた。
「御門跡様であられますか、拙者、越前の朝倉義景の家臣にて、明智十兵衛光秀にございまする。この後は光秀とお呼び下さいませ、それがし今は越前の朝倉家に仕えておりまするが、御門跡様の兄上様の室町幕府・第十三代将軍・足利義輝様に、そこに居られる細川藤孝殿とともにお側にお支えした事がございました。」
 話は少し横に逸れるが、現在でも越前「今の福井県」の一乗谷の城跡近くにある石碑
には、足利義秋公来訪 と記されている。
 しかし足利義昭が果たして、どの様な経緯で越前・一乗谷城に来訪したかという事は
未だに不明であるが諸説ある中で本書では、光秀が覚慶を大和・ 一条院から救い出して ぼろぼろになり乍ら越前に辿り着いたという説を用いたい。
 話をもとに戻せば当初、心の病と言って誰にも会いたくないと言っていた覚慶であったが、よほど幕臣の細川藤孝に強く説得され、この場所に引っ張り出されていた。
 今もそうだが昔から「血は水よりも濃い」という諺がある様に、この時の覚慶には
光秀の言葉が身にしみていた。
「ほう、そうであったか、という事は光秀お前は、ここに居る藤孝と兄・義輝の臣であったという事になるな、光秀は我が身内と思うぞ。」
 覚慶は光秀の顔を見ながら、そういうと光秀は賺さす・・・。
「覚慶様、有難き幸せにございまするが、もし、そうお思いなら兄上様の後を継ぎ将軍と
なり上洛を果たし京に戻られませぬか?それがしも命を賭けて貴殿を御守り致しまする。」
 光秀は、その時胸に熱いものがこみ上げて来る事を感じていた。           
「覚慶様いかがなされますか亡き兄上・足利義輝様の志を継いで室町幕府・第十五代将軍になられますか?もし、そのお気持ちがあるのならばここがらお救い出しまする。」