光秀の推測は遠からず当たっていた、木下藤吉郎が墨俣に一夜城を築いてから織田方
の士気は著しく上向き、一方の斉藤方は軍師と重臣が木下藤吉郎秀吉の諄略により織田家に寝返り、斉藤家当主・斉藤龍興のもとには祖父の道三の代から仕える僅かな側近しか
残っていなかつた。
「そうか・・・今となっては最早、美濃・斉藤家など敵ではないという事か、0それ故に
信長様は北近江の浅井長政殿に最愛の妹・お市様の輿入れを急がれたのだろう。」
 お市の方の輿入れには、織田家・浅井家それぞれの思惑が見え隠れする。
 無論、織田家にとっては北近江の浅井家と婚姻関係を結んでおけば何より京への道が
開かれる事は間違えなく、武将ならば誰もが夢に見る上洛に近づく。
 一方の浅井家の思惑としては、桶狭間の合戦で今川義元の四万の大軍勢を撃破し、今や飛ぶ鳥を落とすほどに勢いのある織田家と婚姻関係を結び、織田家当主・織田信長と義兄弟となり、ともに手を携えて上洛する事を浅井長政は、考えていた。
 永禄九(一五六六)年初冬、あまり雪が降らないうちにとの織田家・浅井家双方の配慮で、お市の方の輿入れは、この時期に行われたと考えられるのだ。
 織田家からは筆頭家老・柴田権六勝家、木下藤吉郎秀吉が付き添い、浅井家からは
長政の父・浅井久政と家老の遠藤喜左右衛門が出迎えているのを光秀は見ていた、
「信長様は、何を考えておられるのか、筆頭家老の柴田勝家様がお市様の付き添いというのは判る様な気がするが.なぜ、美濃攻めの要である墨俣城主の木下殿がお市様の輿入れの付き添い人として小谷城まで付いてきているのだろう。」
「おお、明智殿では、ござらぬか越前・一乗谷に居られる筈なのに、何故、貴殿がここ北近江におられるのでござるかな。もしや主君・朝倉義景殿と仲違いして、この北近江の
浅井家か信長様に仕官したいと思っているのでしょう。」