朝倉義景は、光秀に済まなそうに召し抱えた時の事情を話すと、さらに言葉を続けた。
「光秀、その方ワシに上洛を 勧めるのは前の将軍・足利義輝様の仇を討ち、今、京に
居られ、松永久秀や三好義次らが推す、室町幕府第十四代将軍・足利義栄という者を
追放し、その覚慶様というお方を奉じて室町幕府を再興し、今は行き方知れずになっている細川藤孝殿と手を携え、新将軍をもり立てて古き良き時代の流れを取り戻し、いずれは
天下を手中にする魂胆であろう。 まぁ良いわ、その覚慶様を大和から越前に連れて参れ」
 光秀は、主君である朝倉義景の言葉に少し疑念を感じながらも静かに頷いた。
「殿、それがしは別に何も欲はござりませぬ。ただ殿が上洛をご決断下されば、これ以上の喜びはございませぬ。北國の守護大名である我が朝倉家が上洛するとなれば当然
古くから同盟関係を結んでいる北近江の浅井長政殿の軍勢が加わる事は必定でございまする。殿がその気になられるのであれば、それがしが今すぐ大和・一条院まで出向き、
三好・松永の手から覚慶様を何としても奪還し、この越前・一乗谷にお連れ致します。」
 生真面目な光秀の熱心な言い回しに朝倉義景は、ついに大和・一条院行きを許した。
「光秀、その方がそれ程までに申すのならば、ワシも一度その覚慶様に会うてみたい。だがワシが上洛するか否かは、その時に決めるから早う覚慶様を連れて参れ。」
 光秀は取り敢えず主君・朝倉義景の説得に成功し、大和・一条院に出向く事となった。
「殿が、やつと覚慶様に会うと言うて下された。この上は殿の気が変わらぬうちに一刻も早う大和・一条院からお救いし、三好・松永の魔の手から..覚慶様の身柄を確保して
越前・一乗谷にお連れせねばなるまい。そうじゃ、もしかしたら足利義輝様にお支えしていた細川藤孝も覚慶様と共に居るかも知れぬ。何せ藤孝は室町幕府への忠誠心は他の  誰よりも強く熱い筈だ。 もし、そうならば急がねばなるまい。」
 光秀は、越前・一乗谷から大和・一条院にむ出向くため、陥落寸前の美濃ではなく朝倉家と好を通じ、同盟関係を結んでいた北近江の浅井領を抜け、ひとまず京に入り、 昵懇にしている公家達に会ってから大和に入ろうと思っていた。
 だが、北近江に入った途端、光秀の顔色が変わった。
 なんと尾張の織田家の輿行列が北近江に入ってきたのである。     
「尾張・清州城で信長様に初めて拝謁した折、信長様が言う.ておられたのは、この事だったのか、それにしても、いかに墨俣に木下殿が一夜城を築き、また口説略により竹中半兵衞様をはじめ、斉藤家の重臣・安藤守就、氏家卜全、稲葉一鉄が織田家に寝返り、天下の名城・稲葉山城も陥落寸前にござれば、もしや、信長様は美濃を織田家の領地だと思っておられるのではあるまいか。それで信長様は先手を打ち、目の中に入れても痛くないほど可愛がっておられる御妹君・お市の方様を北近江の浅井長政殿に嫁がせて、稲葉山城が陥落し、美濃が手に這い入れば一挙に上洛まで考えておられるかも知れぬ。」