美は、もちろん光秀の姿は見たものの、まさか光秀が尾張に入り、織田信長や木下
藤吉郎に会っていたとは、思っていなかっただろう。
 同じ頃、奥座敷では光秀の妻・ひろ子と弥兵衛次が会っていた。
「弥兵衛次殿、お久し振りにございまするなぁ。今の今まで何をされていたのですか。」
 光秀の妻・ひろ子の前に畏まって座っているこの男は三宅弥兵衛次、元々は三宅家
の一族であったが、光秀に見出されて明智家の家臣となるが、前著した美濃・長良川の
合戦で明智城が落ち、光秀が道三に付くと庄兵衛と同様に光秀の元を去って行った。
「殿が道三様に付いて稲葉山城に行かれてから、それがしは庄兵衛殿と明智城の落城を
見届けてから、庄兵衛殿と行動を共にしながら、時には易者の様な事をしたり子供達に
剣術を教えたり、傘張りの内職とか本当に浪人らしく暮らしてきました。されど風の噂で
殿が美濃・斉藤家から出て流浪の旅の末この越前の朝倉義景殿に仕官していると聞いて
庄兵衛殿と言っていたのです。もし再び仕官が叶うなら殿しか居られぬと思い馳せ参じ
たと言う訳です。それがしは無錄でも構いません。ただ殿とお方様のお側に居りたい。」
 この弥兵衛次こそ。のちに光秀の養子となり、明智佐馬助秀満と名乗り、庄兵衛や後に
家臣として加わる事になる斉藤利三らとともに明智家・五宿老の一人になったのである。