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 越前・一乗谷城下にある自分の屋敷の前まで帰ってきた光秀は目を疑った。
「殿、お久しゅうございまする。その歳は、誠に相済まぬ事でございました。殿と母御様と、お方様が。この越前・一乗谷にいらっしゃると風の便りにお聞きし
て取るものも取り敢えず、弥兵衛次とともに、参上致しました次第にございまする。」
 光秀の目の前に立っていたのは溝尾庄兵衛、明智家・譜代の重臣で、光秀の母方の大祖父・土岐頼芸と斎藤道三が戦い、道三が勝った「美濃・長良川の合戦」で土岐家の家臣として戦った。結果的には、その時、将来的に見るべきモノがあると何と敵方の道三から
思われていた光秀であったが、結局のところ、道三の死後、斉藤家の家臣団に疎んじられ
明智城は、あえなく落城、光秀についてきた庄兵衛らの重臣たちも光秀の元から離れて
行き、結果的には光秀自身も何年も流浪の旅に出ざるを得なかったのである。
「庄兵衛、弥兵衛次よう来てくれた。されど今は、その方たちを家臣として取り立てる
余裕はとてもないぞ。されど折角きてくれたのだから庄兵衛は母御前と弥兵衛次は、
ひろ子と会いたかったのではないのか、それならぱゆるりと今までの積もる話でも
してゆくが良い。ワシは奥で書き物がある故、これにてご免。」
 きっと心の中では誰よりも二人の来訪を喜んでいる光秀であったが、今の自分の立場
では家族が食べていくだけで精一杯で、とても新たに家臣を召し抱えれる訳がない。
「庄兵衛殿、我が子・光秀は馬鹿なのです。現在の主君である朝倉義景殿が折角二百石で
仕えよと言うて下さっているのに、禄はいらぬから室町幕府との脚分にして欲しいと
言うたのですよ。確かに当時の将軍・足利義輝様への拝謁が叶い、直々に名刀・桐守を
拝領しましたし、将軍家と浅倉家との橋渡しをしたその功により、この屋敷と五十石を
朝倉義景殿より賜り、一応朝倉義景の家臣の末席にはおりまするが。たか2が五十石では
私たち家族が食べていくだけで精一杯です。庄兵衛殿。許しておくれ。 」

 光秀の母・美は庄兵衛に済まなそうにそう言ったが庄兵衛は笑いながらこう答えた。
「あははは・・・母御前様その様な事を申されては殿がお気の毒でございまするよ。
現に室町幕府は幾ら衰退したとは言え、未だに存在するのですから恥ずかしながら、
この庄兵衛も殿と同じ立場なら、きっと同じ事をしたと思いまする。それで明智家・
再興がなれば、我々も大手を振って戻れまする。」
 庄兵衛は美にそう言ったが光秀の母・美は首をなかなか縦には振らなかった。
「何が明智家・再興ですか肝心の足利義輝様は松永久秀らに殺されたのですよ。」
 美の言うとおり、この時は既に光秀が頼りにしていた足利義輝は殺されていたし
親友だと思っていた細川藤孝は何故か行方知れず。美は、この事についても不甲斐ない
光秀に、かなり苛立っていた。
「左様でござりまするか、それは、ちと殿には誤算でございましたな。されど殿ほどの
お方なら、必ずや次の一手を考えておられる筈。庄兵衛は何やら、そんな気がしてならぬのです。それ故、今は無錄でも良いから殿にお仕えしようと弥兵衛次と参上したのです」
「庄兵衛殿の忠義は誠に嬉しく思います。されど我が子・光秀に本当に次の一手を考えて
おるかどうか・・・」