この時、初対面した二人、おそらく光秀は信長の第一印象を・・・。
「思った通り、スケールの大きなお人だ。越前の朝倉義景様はワシが再三、上洛を促して
居るのに一向に動かれなかったが、流石は桶狭間の合戦において今川の大軍を撃破した
信長様だ。ワシが何も言わぬのに自ら上洛を口にされるとはワシも思っていなかったわ。
これは一度、越前・一乗谷に帰国し、母御前や妻・ひろ子ら皆と相談した方が良いかも
知れん。それに信長様がワシにわせたいと言った猿「木下藤吉郎」殿にも遭ってみたい
氏素性も判らぬ百姓出身だというが、墨俣に一夜にて城を築くなど、とても凡人の考えつく事とは思えぬ。それ故、どんな男なのかワシも遭うてみたい。」と思っていただろう。
「光秀、その方の手土産ワシは楽しみにしておるぞ、その時はその方を重く用いよう。
場合によっては一城も与えよう。されど美濃が落ち、再びワシの前に手ぶらで現れたら斬る。一応、墨俣に早馬を出した。猿に遭うが良いぞ。」
 信長は、そう言ってお農の方と一緒に光秀を見送った
 光秀は、越前・一乗谷に帰る途中に、西美濃の墨俣城に立ち寄り木下藤吉郎秀吉という
男に初めて会ったのである。
「木下藤吉郎秀吉殿とお見受け致す。それがしは越前・朝倉家脚分、明智光秀と申す者で
ござる。ご貴殿の話は、織田信長様よりお聞きした。それがしは今は朝倉義景の家臣だが
此度、お農のお方様のお口添えをもって、本日、清洲城にて、信長様に拝謁してきたら、
信長様が貴殿にも一度、遭うておいた方が良いと申されるので、それがしも墨俣に一夜にて城を築くなど、とても人間業とは思えず、どんな人が築かれたのか大いに気になりまして、丁度、越前・一乗谷に帰る途中に墨俣に立ち寄ったのでござるよ。」
 光秀と秀吉、この二人が後に山崎の合戦で戦うことになろうとは、まだ知る由もない。
 この時、光秀三十八歳、秀吉三十歳、信長三十二歳、家康に至ってはまだ二十五歳の 若武者であった。
「明智殿、いかにもそれがしが木下藤吉郎秀吉でござる。清洲城のお屋形様から早馬が
参りまして、お待ちしておりましたぞ、それにしても朝倉義景殿の脚分とは申しても
家臣のような立場の貴殿が此度お屋形様にお目通りが叶うのはどうしてでござるか。」
 秀吉は笑顔で墨俣城に光秀を迎えたが、その表情とは裏腹に少し厳しい言葉を投げた。
「木下殿、先ほどから申し
ている様に、それがしは お農の方様のお口添えをもって信長様にお目通りが叶った訳です。実は、それがしとお農の方様とは従兄妹同士、幼き頃は 稲葉山城の庭先で遊んだ間柄なのでござるよ。」
 光秀は普段は物静かなのだが、秀吉の前に出ると何故か余計な事まで言ってしまうのだ。
「そうだったので、ござるか。それでお屋形様にお目通りが・・・」
「これからの事はまだ判らぬが、それがしの現在の主君である朝倉義景殿は、室町幕府・
第十三代将軍・足利義輝様がご存命中に、それがしが脚分として、何度も上洛をお勧め 
したにも係わらず、一向に動かれなかったが、信長様は、それがしの顔を見た途端に
上洛がしたいと申されるので一度、越前・一乗谷に立ち帰り母や妻とも相談した上で何か
信長様のお気にいる様な手土産を用意したら、今一度お会いすると約束して下さいました
越前・一乗谷に帰る前に、墨俣に一夜にして城を築いた貴殿とは一体どんな顔をしている
のか、見たいと思ったのでござるよ。」
 光秀は、今までの経緯を何故かこの猿のような顔をした木下藤吉郎に笑いながら話した。
「あははは・・・明智殿、見ての通り、何の変哲もない猿のような顔でござるよ。それに
この墨俣城も確かにお屋形様の前で大見得を張ったのは、それがしでござるが実際に
働いたのは弟の小一郎と美濃の川並衆の皆々様方でござるよ。」
 その話を聞いた光秀は、藤吉郎が妙にうらやましかった。
「木下殿が何故、信長様に気に入られているか、何となく判ったような気がするわい。 木下殿には、他人を引き付ける何らかの力があるのだ。だから斎藤道三様以来、三代に
わたり斉藤家に軍師として仕えてこられた竹中半兵衞様を諄略し、自分の軍師として信長様に引き合わせ、ますます信長様に気に入られ、墨俣城の完成と会わせ今や美濃の名門
斉藤家も風前の灯火だ。」