確かに、その頃の織田家の家臣と言えば、武功派の柴田勝家や前田利家、諄略の木下藤吉郎秀吉は、頭角を現してきていたが、公家あや朝廷に明るい人材は殆どいなかった、
「お農、そなたその様な者、存じて居るのか、その様な者が、この信長に会いたいと言うのであれば遭うてみよう。」
「それならば、明朝、清洲城・西の丸の大広間にて、拝謁の準備を整えまする。」
「お農、万事、取りはからえ、大義である。」
「畏まりました。」

 翌朝、光秀は黒の烏帽子に源氏を示す紫色の綬で括り、深緑の装束に身を包み清洲城
西の丸の大広間で織田信長に拝謁した。勿論この時はお農も同席している。
「初めて御意を得ます。それがし越前・朝倉家脚分・明智十兵衛光秀にございまする。 」
「であるか、ワシが織田上総介信長である。子細は、お農から聞いて存じておる。その方、
京の公家や朝廷に明るく、軍略・兵法にも秀でて居るらしいなぁ、この信長に仕官せよ。」
 信長は、あからさまにお農の前で光秀を家臣にしようとしたが、光秀は・・・・・。
「信長様、お気持ちは大変嬉ゅうございまするが、それがしは未だ朝倉義景の家臣の様な身分でございますれば、一度、越前・一乗谷に帰り家族と相談し、越前の情勢も見極めた上で信長様に何か手土産になる様なものを持参いたしとうございますれば、
その時に、それがしを信長様の家臣にするかどうかを判断して下さいませぬか。」
「光秀、ワシは誰よりも先んじて上洛がしたい。そのために今、美濃攻めをしているが
なかなか思うように行かぬ、だが猿が墨俣に城を築いたため、西美濃は織田家の手中に
なったも同然、もし、その方が越前・一乗谷に帰国の際は西美濃、墨俣を通って帰国するが良い。猿とも一度遭うておいた方が良いかも知れんからなぁ。」