励ましの言葉より | ありがとうの日々

ありがとうの日々

3人の男児たちに毎日育てて貰っています。
今ある日常が氣づきの連続です。

 

 

 

・・・解放が達成され、欲求の体が高位の直観の体に変容するのは、弟子が偉大なる方への奉仕に何も残さずにすべてを進んで放棄したときだけである。

 

人間を完全なる奉仕者の位置に導くのは日々の完全な奉仕である―そこには将来についての思いや打算はない。一つ示唆してもよいであろうか。すべての懸念や心配は主に利己的な動機に基づいている。あなたはさらなる苦痛を恐れ、さらなる悲惨な体験をするのではないかと縮み上がる。このようなことでは目標は達成されない。

 

目標は放棄の道によって達成される。おそらくそれは、喜びの放棄、もしくは、評判の放棄、友人の放棄、ハートが執着するすべてのものの放棄を意味するであろう。私はおそらくと言った。そうであると言ったのではない。そうすることがあなたが目標に到達する道であるならば、それがあなたにとって完全な道であることを指摘しようとしているだけである。

 

 

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アリスベイリーの

 

「秘教瞑想に関する手紙」

 

という本を、ゆっくり、

 

亀の歩みように

 

いや、

 

ナマケモノの

歩み?のように

 

 

時間のとれたときに

少しずつ読み進めています。

 

 

先日読んだページの

 

『励ましの言葉』

 

というこの段落が

 

 

自分の中でなにか

とても反応するものがありました。

 

 

 

―人間を完全なる奉仕者の

位置に導くのは

日々の完全な奉仕である―

 

 

 

奉仕といったときに、

ボランティアの団体に

加わって何かをするとか

 

そんなことでなくとも

 

日常にこそ奉仕の場は

あると思います。

 

 

 

 

どれだけ見返りを求めていることか。

 

どれだけ打算のあることか。

 

どれだけ条件づけをしていることか。

 

 

耳の痛い、そして

はっとさせられる

 

 

自分にとって

大変に響いた

 

有難い

『励ましの言葉』

でした。

 

 

 

文章中にある

 

「欲求の体」

 

というのは

おそらくアストラル(感情)体

 

「高位の直観の体」

 

は、ブッディ体のことだと

思われます。

 

 

 

今、自分に可能な

たとえほんの僅かな

奉仕であっても

 

淡々と

粛々と

 

行動していこう。

 

 


と、改めて

気が引き締まりました。