私の和歌論

 

(1) 和歌とは、「刹那の一点」(いま、ここ)から「永遠なる生の今」をつかむ道。

 

   ●岩をかむ大谷川を見上ぐればくれない霞む二荒山のあや

   ●わが生とあい向かうとき奥久慈川の秋立つ山にうろこ雲疲(かず)

 

永遠なる生を写す和歌とは、単に対象の表面を写すのではなく、「真我」が森羅万象や自己自身を写し、表現したもの。和歌は、真我と「もの・こと・ひと」との一如・一体の顕現である。和歌は、死をもって為し得ることを生きながら成就することである。一首は常に「遺言」なり。

 

(2) 歌を詠むとは、我が心の振動を大宇宙に映ずること。同時に大宇宙に映じた振動を我が心の琴線に鳴り響かせること。歌は   この鳴り・ひびきである。「生命の発動」であり、「たましいの息吹き」である。

  

 ●ひさかたの天の岩戸があけひらき初孫生(あ)れし今朝の初空

 ●みはなだのみ空に浮かぶすじ雲をいだく霊峰富士のいのち満つ

 

(3)和歌は、「国ぶり・国のみやび・大和心・先人の悲願と慟哭」を詠う。

 

 ●上つ代の学びの道をみたまふり「物にゆく道」二重橋のみち

 ●楠公の悲憤を体す維新者の永久(とわ)の道行き我も行かんとす

 

 我が国の真のいのち。岩間に湧く清水の如く。葦かびの如く萌え出づる詩情を詠いたい。(略)

 (以上6首の歌は、折に触れて私が詠んだ拙歌です)