和歌と我が人生
和歌とは、「刹那の1点」(いま、ここ)から「永遠なる生の今」をつかむ道。
永遠なる生を写す和歌は、単に対象の表面を写すのではなく、「真我」(真実在・真実相)が森羅万象や自己自身を写し、表現したもの。和歌は、真我と「物・事・我」との一如・一体の顕現なり。
歌を詠むとは、我が心の振動を大宇宙に映ずること。同時に、大宇宙に映じた振動を我が心の琴に鳴り響かせること。歌はこの「鳴り」であり、「ひびき・しらべ」である。Truth is Subjectivity(キルケゴール) 心身一如、静動一如、彼我一体、此処に真の自己が顕れる。このSoul-Experienceという深き心の底を映じたものが、和歌である。しかも、「この深き心の底」は「生成化育」、日々生成発展・創造し続ける。 身体がその突破口を開く。
和歌は、歴史と共にあり。「ひと・もの・こと」との出会いを「語る」物語なり。
我、歴史上の人物に捨身する。「生」は「死」の化身、「死」は永遠の「生」なり。
和歌の、そして、国学の究極の命題は、日本の歴史に捨身した先人の英霊と共に生き、永久の「生」を開顕することなり。「悠久なる自己の生命の躍動を表現する」その表現者としての我。 「我、語り継ぎ践む。故に我あり」
和歌は、「死」をもってはじめて為しうることを、生きながら成就する道である。
それは、「自然の生命への実参」にして「実在の真実の顕現」なり。芭蕉が言う如く、一句(一首)は常に「遺言」なり。 遺言にあらざるものなし。「生死一如」死して後生を得る。 「我が人生はサムシング・グレイト(神・仏)の顕現、その主役は己自身である」
●我、特定の宗教・宗派を信ずる者にあらず。しかしながら、愛する日本民族の子孫として、
日本的心情・霊性を有する者なり。人間の身体は、「歴史的身体」 我、我が民族の影を宿し、民族の魂を蔵す。拙歌は我に とって「独立自全なる無限の活動」なり。
「自由・人権・平和・民主主義」の基底・根本は如上にあり。「公儀・公論、衆議」の重視は是、日本民族の伝統なり。欧米の専売特許にあらず。世界で始めての平和宣言は、我が日本による2686年前の神武天皇:日本建国の「詔勅」にあり。国際連盟に於て、人種差別撤廃を宣言したのも、日本が世界で最初!(米英等が反対)
世界の平和を導く指導原理は、我が日本の歴史・伝統文化にあり。 日本よ、蘇れ! 目覚めよ、日本! 起て、我が愛する祖国日本! 嗚呼
