懐中温泉です、
白浜での湯治が少し落ち着いてきたころ、
結は「今日は湯に入る前に、白浜そのものの
“湯の歴史”を見ておきたい」と思い立ちました。
白浜民俗温泉資料館で「白浜の湯の歴史」を
整理する
朝の白良浜を一周してから、結は坂を上がり、
平草原公園のほうへ向かいました。
海から離れるにつれて、潮の匂いは薄れ、
かわりに草と土の匂いが強くなっていきます。
公園の一角に、こぢんまりとした建物があり、
入口の看板には「白浜民俗温泉資料館」と
書かれていました。
観光パンフレットで名前だけは知って
いましたが、実際に来てみると、「湯治に
来た自分」にとって、まさに教室のような場所に
思えてきます。
湯崎七湯と「牟婁温湯」の時代
館内に入ると、最初のパネルに「牟婁温湯・
紀温湯」という文字が大きく掲げられて
いました。
古い絵図には、湯崎の岬のまわりに
点々と湯壺が描かれており、それぞれに
「崎の湯」「屋形の湯」「牟婁の湯」などの
名前が付されています。
結は、その絵図の前で立ち止まりました。
「今私が入っている崎の湯は、この
“湯崎七湯”の一つとして、江戸時代には
もうこうやって描かれていたんだな。」
解説文には、奈良時代の『日本書紀』に
「牟婁温湯」「紀温湯」と記され、斉明・
天智・持統・文武天皇らが行幸したこと
そしてその後、湯崎の各所で自然湧出
する湯壺が、旅人や地元の人の共同浴場
として使われてきたことが記されていました。
「湯に浸かるときの“今”の感覚」と、
「千年以上前から続いている湯の記憶」
とが、資料館の中で一枚の紙の上に
重なって見えます。
有間皇子と白浜の湯
次のコーナーには、「有間皇子と牟婁の湯」
と題した展示がありました。
素朴な挿絵には、若い皇子が海辺の湯に
浸かる姿、その傍らで従者たちが
控えている様子が描かれています。
解説文には、結がこれまで読んだことと
同じように、有間皇子が病を癒やした
牟婁温湯の話、その後の悲劇
そして熊野・紀伊一帯に残る伝承の概要が、
あらためて整理されていました。
結は、ガラスケースの中の絵図を見ながら
思います。
「小栗判官も、有間皇子も、“病んだ身体を
湯で立て直そうとした人”なんだ。
私はいま、同じ牟婁の湯で、少しだけ
崩れた自分の身体と心を、静かに組み
直している。」
資料館の展示は、物語で読んだことを
「史料」としてもう一度見せてくれるので、
結の中で、伝説と歴史が滑らかに
つながっていきました。
近代の白浜 ― 観光地としての顔
館の奥には、「近代の白浜温泉」という
コーナーがあり、明治・大正から昭和に
かけてのポスターやパンフレット、
古い写真が並んでいました。
白良浜の海水浴場、海岸に建ち並ぶ
旅館、戦後のレジャーブーム期の広告
どの写真にも、「海」と「温泉」が二枚看板
として描かれています。
結は、その写真の前で立ち止まりました。
「ここでは、湯は“病を癒やす湯”から、
“遊びと癒やしの湯”に少しずつ比重を
移していったんだな。」
自分が今泊まっている宿の前身の写真
を見つけると、どこか不思議な気持ちに
なります。
かつて湯治客や新婚旅行客が立っていた
ロビーに、いまはノートを抱えた自分が
立っている
そんな重なりが、静かに胸に広がりました。
牟婁全体のなかの白浜
最後のコーナーには、牟婁全体の地図
とともに、熊野本宮・湯の峰・川湯・勝浦・
白浜など、周辺の温泉や霊場の写真が
並んでいました。
パネルには、「紀伊山地の霊場と参詣道」
「熊野古道」の文字もあり、白浜が「熊野の
入口」として位置づけられていることが
示されています。
結は、その地図の前に立ち、指で白浜
から湯の峰、そして熊野本宮までの経路を
なぞりました。
「私は、すでに熊野側を歩いてから、
改めてこの白浜に戻ってきている。
湯の峰・熊野本宮で、“蘇りの物語”の
中心に触れてから、白浜の湯で、その
余韻を自分の身体の奥に、少しずつ
染み込ませているんだ。」
資料館を出るころには、白浜の湯が
「ただのリゾートの温泉」ではなく、
牟婁という大きなからだの中で、
長い時間をかけて育まれてきた一つの
“細胞”のように感じられるようになって
いました。
ご精読ありがとうございました。
懐中温泉
