懐中温泉です、
300年湯へ行く
道後から戻ってしばらくたったある夕方、
結は研究室の机の上に、白浜用のノートと
紀国・紀氏の資料を広げていました。
ページの端には、鉛筆で小さく「武内宿禰」
と書き添えられていて、その文字だけが、
まだ物語の中に居場所を与えられていない
登場人物のように見えます。
「300年も生きたとされた重臣と、白浜の
湯を、どう結びつければいいだろう。」
結は椅子の背にもたれ、窓の外の曇り空
を見上げました。
紀国に生まれた「長寿のモデル」
白浜について調べるうちに、彼女の
関心は自然と「紀国」へ、そこから「紀氏」
へと伸びていきました。
紀の国=木の国。
その土地を名乗る氏族の祖として
系譜に立つのが、武内宿禰の子を
名乗る紀角宿禰(きの つの の すくね)
である
そのことを知ったとき、結の頭の中で、
山と海と温泉とが一本の線で結ばれた
感覚がありました。
そう言えば、日本古代の「宿禰(すくね)」は、
初期には個人名に添える尊称です。
その後は氏姓制の中の正式なカバネ(姓)
として位置づけが変化していった
ものです。
「紀国の海辺に白浜があり、紀氏の背後
には武内宿禰がいる。」
紀国造家が祀る日前・国懸の神々の
土地に、長寿の象徴のような人物の
産湯伝承が残っている。
その一方で、同じ紀国の海辺には、
牟婁の湯=白浜温泉という「熱い塩の湯」
が、古代から天皇の行幸の場として
湧き続けている。
結はノートの片隅に、こんな式を書きました。
「武内宿禰(長く仕え続ける身体) +
紀国(木の国・山と森) +
牟婁/白浜(海辺の湯) =
“長く働き続けるための身体のモデル”」
もちろん、これは史実ではなく、自分自身
の湯治計画のための私的な比喩に
すぎません。
それでも、道後で一週間を終え、有馬の
三回りも経験してしまったいまの結には、
「300年の長寿」と「白浜一週間湯治」とを、
あえて同じ紙の上に並べてみたい
そのような欲求がありました。
「隠された祖」
和歌山の産湯の井戸で聞いたものです。
白浜行きの計画を立てる前に、結は
一度、和歌山市内の神社を訪ねてみる
ことにしました。
安原の住宅街の奥、小さな社のさらに
奥に、苔むした石段と祠がひっそりと
立っていました。
案内板には「武内神社」の名と、「武内
宿禰誕生井」の文字が、小さく刻まれて
います。
「……こんな奥まったところにいるんだ。」
祠の脇には、石で囲まれた古い井戸
があり、透明な水が静かに湛えられて
いました。
周囲には特別な観光案内もなく、
参拝者の姿もありません。
結は井戸の縁にそっと手を置きました。
「五代の天皇に仕え、300年も生きたと
された人の“産湯の井戸”が、この静けさ
なのか。」
社務所で聞くと、この水はかつて紀州
徳川家の産湯にも使われ、「長命の水」
として尊ばれてきた
という話を、年配の宮司が淡々と教えて
くれました。
しかし、いまそれを知る人は多くありません。
「長寿のモデルは、いまはひっそりと
隠れている。」
結はそうノートに書き、次のページの
見出しに「白浜・牟婁の湯」と記しました。
熊野と白浜のあいだで揺れる想像
白浜の地図を広げると、そこからさらに
南東に、熊野・湯の峰温泉の文字が
見えます。
小栗判官の蘇生譚の舞台、「つぼ湯」
がある場所です。
「死に落ちた身体を、湯で引き上げる
つぼ湯。
死なないまま300年働き続けたと
される武内宿禰。
その中間に、自分の一週間湯治を
置けないだろうか。」
ご精読ありがとうございました。
懐中温泉
