有馬での新しい湯治法 | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です、

 

伊香保での二十一日間を終えてからも、

結(ゆい)の生活は、どこか「湯治仕様」

のまま続いていました。

 

 

朝は早く起きて、短い入浴かシャワーで

身体を温め、米一膳弱と具だくさんの

味噌汁で一日を始めます。

 

夜は腹八分目で切り上げ、深夜までは

仕事をしません。

 

このリズムを自宅で数週間続けてみると、

「あの慎ましい時間配分」は、温泉場で

なくても案外維持できるのだと、結は実感

するようになりました。

 

同時に、机の上では新しい旅の準備も

静かに進んでいました。

 

ノートPCの画面には「温泉紀行の部」と

いうページが開かれています。

 

本居大平「有馬の日記」、

西沢一鳳「有馬温泉紀行」、

吉田東洋「有馬入浴日記」

 

など、有馬を舞台にした近世・幕末の湯治

記録のタイトルが並んでいます。


伊香保のあとは草津へ――当初はそう考え

ていた結の関心は、いつのまにか有馬へと

傾きつつありました。

 

本居宣長の門人であり、春庭とも深く関わる

大平が、有馬でどのように湯治を行い、

どのように日々を書き留めていたのか。

 

その姿を、自分の「伊香保ノート」と重ねて

みたいと考えるようになったからです。

 

本居大平たちが描いた「有馬湯治」という世界

 

「有馬の日記」は、天明二年に本居大平が

有馬への往復と滞在を記したもので、

出立から帰着までの日々が、簡潔な和文で

淡々と綴られています。

 


そこには、道中の宿場名や距離だけでなく、

次のような情報が、日ごとにきちんと書き

込まれています。

 

その日に泊まった湯宿の名

 

朝・昼・晩それぞれの入浴回数

 

入浴後の体調(頭痛・だるさ・食欲の有無など)

 

湯治の合間に読んだ書物や、往復した手紙の

やりとり

 

こうした細部が、日記形式で丹念に積み

重ねられていきます。

 

とりわけ興味深く感じられるのは、大平が

「何日目に湯を増やし、何日目に減らしたか」

をかなり細かく記録している点です。

 

伊香保で結は、一巡目・二巡目・三巡目という

「七日単位」のリズムを自分なりに見出したの

でした。

 

それと同じように、大平もまた、「入りすぎた

翌日は一回減らす」「湯あたりの気配があれば

一日休む」といった微調整を、身体の感覚と

相談しながら行っているように見えます。


日記の行間からは、「湯の効き目をきちんと

引き出したいが、効かせすぎるのは怖い」

という、強い湯に向き合う湯治客特有の

慎重さがにじみ出ています。

 

一方、西沢一鳳の「有馬温泉紀行」は、

同じ有馬を、もう少し外側から眺めた筆致で

描いています。


一鳳は有馬の町に入るところから書き起こし、

坂の多い地形、谷筋に沿って並ぶ湯宿、

湯屋の構造、湯女や湯番の立ち働き、

土産物屋や茶店の呼び込みまで

 

そうしたことを、観察者の目で細かく書き留めて

いきます。

 

どの湯屋が混んでいるのか

 

どの宿が上客向けで、どこが庶民向けなのか

 

湯治客と物見遊山客が、日々どのように

混じり合っているのか

 

こうしたディテールから、読者は「療養の場」

であると同時に「観光と社交の場」でも

あった近世有馬の相貌を、具体的な光景

として思い浮かべることができます。

 

吉田東洋の「有馬入浴日記」は、幕末期の

土佐藩士が有馬に滞在した記録として

知られています。

 


ここでは、病気治療のための湯治が、政治的

・知的ネットワークとも密接に接続している

様子がうかがえます。

 

誰と同宿になったのか、誰の紹介でどの宿に

入ったのか、といった社会的な文脈が、

入浴回数や体調のメモと同じ紙面に

並んでいるからです。

 


結にとって、「身体の療養」と「学問や政治の

思考」が同じ日記帳の上で共存している

という点で、大平と東洋の記録は響き合って

感じられます。

 

湯に浸かる身体と、文字を書く身体が、

ひとつの生活の中に無理なく収まっている

ことが、そのまま有馬湯治の特徴として

浮かび上がってきます。

 

これら三つの有馬紀行・湯治日記は、それぞれ

視点や文体は異なりますが、共通して

次の点をよく伝えてくれます。

 

入浴は「何となく」ではなく、回数・時間・順序を

意識しながら行われていたこと

 

宿の選び方や湯屋との距離感が、身分・目的

・滞在日数によって明確に違っていたこと

 

湯治の時間が、読書・書き物・交友といった

活動と深く結びついていたこと

 

伊香保から戻った自宅で、結はこうした翻刻を

読みながら、自分の伊香保ノートを横に

置いていました。

 


「大平が有馬でこう書いている日には、自分なら

どんな一日を組むだろうか」

 


「一鳳が描いた町の賑わいを、実際に歩いて

なぞるとしたら、どこからどこまでを

一日一巡りにするのがよいだろうか」

 

そんな具体的な想像を、現実の旅程にゆっくり

と変えていくために、結はまずオンラインで

有馬の一次資料とじっくり向き合う時間を

意識的につくっていきます。

 


伊香保での二十一日間は「自分と湯との

距離感」を整える旅だった。

 

とすれば、次の有馬は、「近世の書き手たち

が歩いた湯治の時間」を、自分の生活と

重ねながら追体験していく旅になるはずだ。

 

結はそう考えながら、画面に並ぶ有馬の

タイトルをひとつひとつクリックしていきました。

 
ご精読ありがとうございました。
 
懐中温泉