懐中温泉です、
伊香保温泉・第17日前半
十七日目の朝、結(ゆい)は、目を覚ました
瞬間に「あ、今日は“少し動いていい日”だ」
と感じました。
脚は相変わらず軽く、膝や腰の違和感も
ありません。
胸のあたりもすっきりしていて、眠りも深かった。
十五日目・十六日目と、「家に持ち帰れる
一日のリズム」を意識して組み立ててきた
せいか、身体の奥に「無理をしていない
充足感」のようなものが残っています。
ちゃぶ台のノートを開き、「伊香保湯治 三巡目
第十七日目」と書きました。
その下に、「三巡目三日目=通算十七日目。
“日常仕様”での湯二回(あるいは三回)+
少しだけ活動量を増やす日」と書き添えます。
ここ数日は、「伊香保仕様から日常仕様へ」の
チューニングを続けてきたので、十七日目は、
その状態で少しだけ「動く」ことを試す段階だと
感じました。
朝食は、十六日目と同じフォーマットをなぞります。
土鍋のご飯を茶碗に軽く一膳弱、豆腐と葱と
白菜、薄切りの椎茸を具にした味噌汁を一椀、
漬物を二切れ。
ただ、今日はご飯の量を「本当に家でも続けら
れる」と思えるラインまで、もう一段だけ減らして
みることにしました。
箸を進め、途中で一度手を止めて胸の様子を
探ります。
満腹感ではなく、「これ以上食べたら重くなる」と
いう境界線が、以前よりずっと手前に感じ取れる
ようになっていることに気づきます。
「この“足りなさ”なら、仕事の日の朝でも耐えら
れる」と判断し、残りのご飯は迷わず明日の雑炊
行きにまわしました。
食後、布団に仰向けになって呼吸と心臓の鼓動
を確かめます。
脚・膝・腰・背中・肩・首・頭、どこにも違和感は
ありません。
「今日は、朝と夕の二回にするか、昼にも短く一回
入れて三回にするか」を少し迷い、「午前中に少し
動くなら、湯は三回でもよさそうだ」と考えました。
ノートには、「湯三回。ただしすべて短時間。
活動量を少し増やしたうえでの“一日三回”を
テスト」と書き込みます。
一回目の朝湯は、十六日目と同様、七時半前後に
設定しました。
湯殿に向かう途中の廊下を歩きながら、「これが
もし自宅なら、どのくらいの時間を割けるだろう」と
具体的に想像します。
黄金の湯の茶褐色は、変わらず静かに湯殿の光
を受けています。
洗い場で身を清め、湯壺に足先から浸かって
いきます。
「深く・長く」ではなく、「浅く・短く・しかし密度高く」が、
三巡目のテーマです。
胸まで浸かり、最後の数呼吸だけ肩まで沈み、
「十数える前」に身体のほうから「そろそろ」と
サインが出てくるのを感じます。
湯から上がり、部屋に戻って布団に横になりながら、
ノートに書きました。
「朝湯一回目。肩まで浸かる。
時間は“自宅での短風呂”としても現実的な長さ。
脚と腰の軽さは維持。胸もすっきり。」
午前中は、久しぶりに少し長めに石段街を歩いて
みることにしました。
これまでは「宿の前から二十段上まで」
「伊香保神社まで」といった限定的な動きでしたが、
十七日目は、「石段を下まで降りて、
麓まで一往復」することにします。
宿の前から石段をゆっくり下りていくと、これまで
には気づかなかった細かな風景が目に入って
きます。
石段の一部には、微妙なすり減り具合があり、
人々の足が長い時間をかけて刻んだ「くぼみ」が
見えます。
途中の踊り場には、小さな祠や、由緒書きの
板札があり、これまで素通りしてきた土地の
記憶が、少しずつ浮かび上がってくるようでした。
麓まで降り、そこからまたゆっくり石段を
上って戻る途中、結は自分の足取りの変化を
意識します。
初日や二日目には、息が上がり、膝の不安も
感じていました。
十七日目の今、石段の勾配は相変わらず
ですが、足の運びは安定し、呼吸も乱れません。
「湯と食事と眠りを整えるだけで、これだけ
“動ける身体”に変わるのか」と、身体の内側で
静かな驚きが広がりました。
宿に戻り、昼前に共同台所へ向かいます。
十七日目の昼は、前日までと同じく鍋一つで
完結する簡略版湯治食にしました。
土鍋に水と大根、人参、白菜、少しのごぼうを
入れて煮立て、豆腐を加え、味噌を溶きます。
今日はこんにゃくを少しだけ加えました。
「動いたぶんの満足感」を、油ではなく、噛み
ごたえで埋めたいと感じたからです。
ご飯は茶碗に半分ほど。歩いたあとの空腹感
はありますが、「ここで一気に増やさない」ことを
自分に言い聞かせます。
途中で箸を置き、満腹ではなく「十分な充足感」
で止め、残りはやはり翌朝の雑炊行きです。
