懐中温泉です、
「癒しと労働の列島」篇第七十五話
結は、ノートを開いたまま、しばらく何も書けず
にいました。
別府について、書きたいことは山ほどある。
けれど同時に、書いてはいけない気もしている。
その二つが、同じ強さで、手を引いていました。
語られない歴史を、どう書けばいいのだろう。
結は、その問いを、何度も頭の中で繰り返します。
これまでの研究では、語られないものを、
語らせることが仕事でした。
史料の隙間を埋め、制度の外側に置かれた
人びとを拾い上げる。
沈黙を破ることが、誠実さだと信じてきた。
けれど、別府では、そのやり方がうまくいき
ません。
別府の歴史は、隠されているわけではない。
抑圧され、消されたわけでもない。
ただ、前に出てこない。
記念されず、整理されず、日常の中に溶けた
まま残っている。
それを無理に引きずり出すことは、この町の
あり方そのものを、壊してしまうのではないか。
結は、そんな不安を覚えていました。
語られないことには、理由がある。
そしてその理由は、必ずしも「悪」ではない。
別府では、歴史は語るものではなく、使うもの
だった。
湯は、由来を説明されなくても湧き、人は、
意味づけを求めずに浸かってきた。
その繰り返しが、町を形づくっている。
結は、自分が無意識のうちに、「説明できる
歴史」だけを、歴史として扱おうとしてきたことに
気づきます。
けれど、説明されないまま続いてきた時間も、
同じ重さを持っているはずです。
では、どう書くのか。
答えは、意外なほど単純でした。
全部を書かないこと。
結は、別府で見たものを思い返します。
説明板のない共同湯。
名前を主張しない町並み。
観光客にも、地元の人にも、同じ距離で置かれた湯。
そこには、「語らない」という選択が、積み重なって
いました。
語らないことは、無関心ではありません。
むしろ、使い続けるための態度です。
結は、語られない歴史を書くとは、沈黙を破ること
ではなく、沈黙が成立している理由を、そっと示す
ことだと思うようになりました。
史料がない場所では、無理に物語を作らない。
象徴がないことを、欠落として扱わない。
代わりに、なぜ象徴が不要だったのかを考える。
別府では、中心がない。
だから、歴史も一か所に集まらない。
それを、弱さや未成熟としてではなく、一つの
完成形として受け止める。
結は、書き方を少し変える必要があると感じました。
断定しない。 代表を立てない。 結論を急がない。
その代わり、歩いた距離を書く。
迷った感覚を書く。
一泊しただけで見えたことと、見えなかったことの
両方を書く。
語られない歴史は、読者の中で初めて立ち上がる
歴史なのかもしれません。
書き手がすべてを語ってしまえば、その余地は
消えてしまう。
結は、ノートの最初のページに、こう書きました。
――ここに書かれていないことも、この町の歴史である。
それは、逃げではありません。
放棄でもない。
この町に対する、ひとつの敬意でした。
別府は、記念されないことで、生き延びてきた。
語られないことで、使われ続けてきた。
ならば、その歴史は、語りすぎないことでしか、
書けないのではないか。
結は、ようやくペンを動かし始めます。
書くべきなのは、答えではない。
問いの形そのものだ。
語られない歴史を書くとは、沈黙に言葉を
与えることではなく、沈黙が続いてきた時間を、
読者と一緒に感じ直すことなのだと。
そう思えたとき、結の中で、別府という町が、
ようやく一つの輪郭を持ちはじめていました。
