神の化粧水(けしょうみず) | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です、

 

神の化粧水(けしょうみず)

 

鉄(くろがね)の湯・第八話

 

 

高殿での体験は、あまりにも強烈だった。

 

村下の言葉は私たちの魂を深く満たしたが、あの灼熱

の炎と煤煙、そして耳に残る轟音は、確かに私たち

の肉体に「緊張」という名の痕跡を残していた。

 

高殿を出てからも、小町さんの肌はほてりが引ききらず、

阿国さんのしなやかな体も、無意識のうちに強張って

いるように見えた。

 

「二人とも、ずいぶんと『火』に当てられちまった

ようだね」

 

 私たちの様子を見かねて、阿国さんがにやりと笑った。

 

 「あの炎の記憶を本当に自分のものにするには、

もう一度『水』の力が必要さ。

 

それも、ただの水じゃない。

 

神様がこの国に遺した、とっておきの『仕上げ湯』

がね」

 

阿国がそう言って私たちを導いたのは、花仙山

(かせんざん)の麓、玉湯川(たまゆがわ)のほとりに

開けた、ひときわ賑わいのある温泉郷だった。

 

「ここが、玉造(たまつくり)の湯さ。

 

この地の名は、古(いにしえ)にここで美しい勾玉

(まがたま)が作られたことから来ている。

 

そして、ここの湯もまた、人の肌を玉のように

磨き上げるんだ」

 

海潮温泉が山間の静かな湯治場だったとすれば、

ここは明るく開け、川沿いにはいくつもの宿が

立ち並び、多くの人々が湯浴みを楽しんでいる。

 

そして何より、空気が違う。

 

硫黄の香りではなく、どこかまろやかで、肌を優しく

撫でるような湿気を帯びた空気が、里全体を

包んでいた。

 

案内された湯屋で服を解き、湯船へと足を踏み

入れた瞬間、私は息をのんだ。

 

そして、隣にいた小町さんからも、陶然としたため息が

漏れた。

 

「……これは……」

 

お湯、という言葉がためらわれるほどの、濃密な

液体だった。

 

 海潮温泉が「絹の衣」だとしたら、玉造の湯は

「溶かした玉(ぎょく)」そのものだ。

 

とろり、と肌にまとわりつき、水と肌との境界線が

曖昧になっていくような不思議な感覚。

 

それはまるで、羊水に回帰したかのような、絶対的な

安心感だった。

 

私は、高殿の熱気でわずかに火照っていた自分の腕を、

その湯の中に沈めてみた。

 

するとどうだろう。

 

ピリピリとした微かな刺激が、湯に溶け込むように

すうっと消えていく。

 

「…結さん。わちきの肌も、見てみなよ」

 

 興奮した声で阿国さんが自分の腕を差し出した。

 

高殿で火の粉が掠めたのか、小さく赤くなっていた

箇所が、湯の中で不思議と色が和らいで見える。

 

 「この湯は、火傷や荒れた肌を鎮める力が格段に

強いんだ。

 

だから、たたら師たちも、高殿でひどい火傷を負った

時は、まずここで湯治をする。

 

ここの湯が、彼らの肌を元通りに再生させてくれる

のさ」

 

「その通りです…」

 

私は、その驚くべき効能に、現代の知識で裏付け

を与えた。

 

「ここの泉質は、硫酸イオンと塩分を非常に高い

濃度で含んでいます。

 

硫酸イオンは、まさに皮膚の細胞を新しく作るのを

助け、傷を癒す働きがある。

 

そして塩分が肌に薄い膜を作り、水分が蒸発するの

を防ぎながら、体の芯まで深く温めてくれるんです」

 

私の言葉に、小町さんが湯の中でゆっくりと自分の

体を抱きしめるようにした。

 

 「…塩分。道理で、体の芯から冷えが抜けていく

ようですわ。

 

長旅でこわばっていた腰や背中が、まるで綿のように

ふわりと軽くなっていく…。

 

そして、このとろみ。

 

まるで、神様がわたくしたちの肌に、直々に化粧水を

塗り込んでくださっているよう…」

 

彼女の言葉こそ、この湯の本質を射抜いていた。 

 

私たちは、誰からともなく深く息を吐いた。

 

高殿で張り詰めていた神経の糸が、一本、また

一本と、この神の化粧水の中に溶けていく。

 

目をつぶれば、浮かんでくるのはあの赤々とした

炎の記憶。

 

しかし、それはもはや恐怖や畏怖の対象では

なかった。

 

この鎮静の湯の中で、あの炎の記憶は、私たちの

魂を脅かす「火」から、私たちを内側から温める

「光」へと浄化されていくようだった。

 

「…すごいね」と、阿国さんがぽつりと呟いた。

 

「炎のそばに、必ずこれほどの癒しの湯がある。

 

たたらも、湯も、どっちもこの国の神様が、

人間が生きるために仕組んでくれたもんだって、

よく分かるよ」

 

その通りだ。私たちはこの旅で、自然の厳しさ

(たたら)と、自然の慈悲(温泉)が、常に一対の

ものであることを見せつけられている。

 

そして、その両方を受け入れ、対話し、生きる糧と

してきたのが、ここに暮らす人々だったのだ。

 

しばらく、三人とも無言で湯に身を委ねていた。

 

湯屋の窓から差し込む西日が、湯面をきらきらと

金色に染めていく。

 

川のせせらぎと、湯が縁から溢れ落ちる音だけが、

私たちの耳に優しく響いている。

 

この文の読み手であるあなたにも、このとろりとした

湯の感触と、すべてが赦されていくような安らぎが、

どうか届きますように。

 

やがて、すっかり玉のように磨かれた肌で湯船の

縁に腰かけた小町さんが、夢見るような瞳で、

その湯面を見つめながら、静かに歌を詠んだ。

 

「荒ぶる火 鎮めし肌に 玉の湯の 

とろりと染みて 命(いのち)再生(あらた)む」

 

(あの高殿の荒々しい炎にさらされた肌を鎮めて

くれたこの玉造の湯が、とろりと染み込んでくる。

 

ああ、私の命が、まるで新しく生まれ変わっていくようだ)

 

 
ご精読ありがとうございました。
 
懐中温泉