懐中温泉です、
あらたまったご質問をいただきました。
「なにがあったというのですか?」
鋭いご洞察です。
実は、この1週間ほど、原因不明の体調不良に
さいなまれていました。
苦しんでいたのです。
大げさでなく煩悶していました。
いわゆる疫病といった症状ではなく、もしかする
と風邪になるのか、というような感じで、発熱など
はないのですが、消化器官が極度に弱っている。
そのような感じでした。
水を飲むと、お腹が
グルグル
ギュルギュル
とうなっているかのような音を不気味に出しながら、
たぶん急スピードで消化器官を降っていき、
たちまち、申し訳ありません、便意をもよおし
いてもたってもいられなくなる。
しかも手洗いに行きすぎて、その部分が完全に
損傷している。
そのため、こわくて水もうかうか飲めない。
食欲もしたがって湧いてこない。
人間は、つきつめると1本の管
そのことを文字通り体感・実感した1週間でした。
消化器官という1本の管でしかない。
その管をどのように維持させるか。
そこにばかりもっぱらの神経を集中させていたのです。
「いつも言ってる、感謝の法則はどうしたんですか。」
申し訳ありません。
ネガティブなことにばかり注意が向けば、それと
同じイメージが心の中に形成されてしまう。
まさにそのことが起きていたのです。
不満を持った瞬間から、すべてはうまくいかなく
なる。
凡庸で、貧相で、醜悪で、みすぼらしい
そういったものにばかり注意を向けるので、自分
自身もそうなってしまう。
いわゆる負のスパイラル。
とくに、今回は、眠っているときにふとギュルギュル
となってくるので、戦々恐々という状況が毎晩
続きました。
幸い、目覚め、すぐにトイレに駆け込めるように
していましたから、しのげました。
なるべく1人で完結できる過ごし方をしていたの
です。
これまでいろいろ培ってきた、塩水健康法や、
さまざまな生活習慣が通用しない。
1本の消化器官として、どう生存するか。
それだけでした。
正直、感謝の法則は、消化器官に通用するのか。
消化器官は、感謝するのだろうか。
とは言え、管の下の末端部は苦悶・苦渋の悲鳴
をあげていましたので、感情はともなっていた。
全身を絞り上げられるかのような痛みのひとときが
過ぎると、かろうじて安堵の息をつきましたので、
気持ちはあった。
ただ、感謝にまで至ったのかどうか。
そこらへんは定かでありません。
1週間、24時間が7回過ぎたわけですが、ふだんの
時間感覚もなくなっていたようです。
そして、思ったのは、
『どうやら、ふつうの人はこういう痛みだったり、
苦痛などをもつものらしい。それを今まで理解せずに
自分はものを言ったり、書いたりしていたのでは
ないか。』
もしかすると、これまで最高のもの、最高の状態に
ばかり集中して、突き詰めることだけしていた。
だから、一般の状況とかが、分からなくなっていた
のではないか。
もとより特殊な才能などを持ち合わせているわけ
でもなく、結局ふつうの人間でしかない自分。
ふつうに生きるというのがわからなかった。
どうも、人々は、そのような前提で、一般的に
生きているらしい。
要するに適当。
それで成り立つんだ。
わからなくなっていた。
1本の消化器官としてだけあって、それで生きていく
ということさえもできるらしい。
病院や、療養施設というのは、まさにそのための
存在であり、世の中には実に多い。
ごく当たり前のことに今さらながら気づいたのです。
そこで、ようやく、それでも生きているということに
なるらしい、と分かりました。
そしてようやく、感謝の気持ちが湧いてきたのです。
といっても、今、ようやく整理してお話ししていますが、
この間、以上の気持ちや感情、思考が混濁した
ままであったのは確かです。
その混濁をあなたに見事気づかれた、ということ
になります。
なんとか、回復してきているようです。
ありがとうございます。
