懐中温泉です、
あなたは、仙人に会ったことがありますか。
あ、例によって、どこにお住まいか
わからない、仙人さん、
ではないですよ。
「いえ、ありません。」
まあ、それが普通です。
とはいえ、なんだか仙人のような
ライフスタイルを送っているのでは。
そのように思えてしまう、
浮き世離れした人物。
人(ひと)というよりは、
また、人の間と書く人間でもなく、
人に物、と書く、人物がぴったり。
まさに仙人のような、という感じ。
それだったら、会ったことがある。
直接ではないが、会ったことがある、
と言っているのを聞いたことがある。
ほとんどUFOと同レベルですが、
伝聞で知っている。
その可能性は否定できない。
かもしれません。
が、今回お話しするのは、その名前も
地名として残る、歴史上実在した
仙人です。
しかも、1965年に没したということで
親が会ったことがあり、
その親は生きている。
十分ありえます。
地名というのは、仙人岱(せんにんたい)
青森県の八甲田山中にあります。
標高1130メートル。
岱(たい)というのは難しい漢字です。
やまつくり、で漢和辞典を用いるか、
インターネット検索も一苦労。
湿地帯のことであり、しかも
山の中にある。
その場合に、この岱という字を
あてるようです。
そして、仙人岱には緊急避難用に
と24時間オープンの山小屋が
ヒュッテとして1955年から
存在します。
15人が収容可能。
八甲田山は、1902年、旧日本帝国陸軍が
軍事演習として冬の行軍訓練を実施し、
199名が遭難した事件で
知られています。
そのときに、遭難した兵士達でも
凍死せずに無事生還できた者も
いました。
彼らの救助に力があったとされるのが、
地元出身で兵役中の鹿内辰五郎
(しかないたつごろう)です。
明治13(1880)年生まれで、
昭和40(1865)に没した、と
いうことで、なかなかの長寿。
遭難事件の後、この八甲田山の
酸ヶ湯温泉宿で働きながら、
遭難者を幾度も救い、
鹿内仙人
山仙
と呼ばれていました。
仙人岱が彼にちなんだものなのか。
あるいは、仙人岱にちなんで
彼のニックネームができたのか。
どうもさだかでありません。
この地には地獄沼であったり、
極楽池であったりしますので
仙人岱が先でしょうか。
仙人岱の「八甲田清水」は、現在、
全国レベルでミネラル・ウォーター
として売られています。
これも地元では、この仙人が発見したので
「辰五郎清水」と呼ばれています。
身長170センチ余り、となかなか立派な
体格であり、かつての兵役を前提とした
体格検査では、甲種合格、とされた
でしょう。
警笛にもするのか、常に笛を持っている。
円い帽子をかぶり、黒い詰め襟の服を着て
胸にいっぱいのメダルを着けている、
特異ないでたちで、仙人と呼ばれたのも
無理はありません。
青森市の農家の長男に生まれ、
小学校を出て13歳から酸ヶ湯温泉で働いた
ということでその知識は先の遭難事件でも
大いに役立ちました。
市内から20キロ余の山道を歩いて
荷物を運搬したり、千人風呂であり
混浴であった、酸ヶ湯温泉での
湯治客の山の案内をしたりしました。
なんでも、精がつくからと、
ナメクジを好んで食べた
ようです。
ここらへんも仙人っぽいと言えば
仙人ぽいですね。
これまで過去の日本に実在した
仙人についてお話ししたことが
ありますが、この鹿内仙人は、
その本名もわかるレアな事例です。
今、現地では彼の生前の功績を
称える顕彰碑も地獄沼近くに
建てられています。
あたり一面真っ白な雪の中、
方角がわからなくなり遭難し、
命があぶない。
そこで山仙鹿内辰五郎に救助され、
地獄沼のそばを通り抜け、
酸ヶ湯温泉宿にたどりつく。
その後で、入る千人風呂は、
まさに蘇生の湯であったこと
でしょう。
長寿のお茶も飲んで。
あとは死ぬまで長生きするだけです。
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