あえて荒波に揉まれる | 「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

「中年の危機」に陥った、ごく普通の50代男性が、3日・2週間・1ヶ月の3段階で人生をやり直す、潜在意識活用システム 真「幸せの時間」

潜在意識の働きで、あなたは「スーパーなあなた」になるのです。そのための素材・方法も実はあなたの手元にすでに多くあります。ここでは、あなたがそれを見出し、活用するお手伝いをいたします。胎児(あなた)は、胎児(あなた)の夢により進化します。

懐中温泉です。

本ブログをご訪問いただき、
心より感謝いたします。


あなたは、荒波に揉まれたことは
ありますか。



このように問われると、
まじめなあなたは、

https://youtu.be/MgMrnUXm17A

「確かに、人生とは
荒波のようなもので、毎日
揉まれています。」

と、口を一文字にきっと結んで
言うかもしれません。

もちろん、人生に対する姿勢は
どのようであっても
かまわないはずです。

自分だけの人生ですので、
自分が納得すればいいので。

のっけから、ずいぶん
深刻な感じになり申し訳ありません。

数回前にお話ししたように、
私は、北関東太平洋岸、
納豆原理主義者の巣窟とされる
県の県北にある実家に帰省しています。

実家から歩いて20分ほどで
海なので、毎日、海水浴場まで
歩いて通っています。

台風が過ぎたばかりで、
波は高く、天気も必ずしも
晴朗ではありません。

歩ける範囲で2つ海水浴場があり、
1つは、女波(おんななみ)という名前で
地元の人は呼んでいます。

名前が示すように、
それと対になる男波が
あり、こちらは防波堤の外にあります。

ここでは、北からの親潮と
南からの黒潮がぶつかり
できる波がそのまま海岸まで来ますので、
複雑な潮流を作っています。

見るからに、危険で
怖いです。

そのため、25メートルプール
程度の区域にブイが仕切られた
女波の方で、人々はパチャパチャと
遊びます。

実際、泳ぐというほどの大きさもないので、
遊泳とはいえ、遊ぶ、方に
力が置かれる感じですね。

ここが遊泳禁止となると、
このあたりで泳げる海水浴場は
ない、ということを
意味しています。

そこでここしばらく
遊泳注意の黄色い表示が
掲げられている。

来ている海水浴客でも
泳いでいる人はおらず、
波打ち際で、砂遊びをする程度です。

私も、良い子のみなさんの
悪い見本になってはいけない、と
泳ぐことはしません。

せいぜい立ち泳ぎで、
ひょっとすると、砂底に座るようにして、
ほとんど定点にあります。

そして、波に打たれ続けるのです。

これは、遊泳ではない。

ほとんど修行だ。

そのように、良い子のみなさんには
印象づけられるようにして、
真似をさせないようにします。

楽しそうに泳いで見せては、
「あのおじちゃんみたいに
泳ぎたい。」

そのように誘導することになり、
親御さん達を困らせてしまうからです。

とは言え、この女波でも
十分波は強く、また不規則で
攻撃的です。

波が、それこそ
波状にぶつかってくるのです。

なにしろ、海ですから、
波状攻撃の本家なのでした。

「うわっ、ぷっ。」

「あーっ。」

思わず声に出てしまいますが、
いつもより、波の間隔が狭く、
1つの波を潜るか、乗り越えても、
すぐその後から来て、飲み込まれてしまうのです。

ただ立とうとするところを
足をすくうようにして、
波が打ち付けてくる。

前からだけでなく、
斜めからも来たりする。

理不尽。

翻弄。

波もお腹の部分を
強打してきたり、
足に打撃を加えたり。

あるいは、身体が丸ごと
持ち上げられ、洗濯機で
洗われる衣服のような感じに
なったりもします。

波に揉まれる。

まさにその通りで、
こんな波打ち際で、
浅いところで、こんな
回転をさせられるなんて…

いつしか、何も考えなくなります。

その意味では、無念無想、
というのでしょうか。

自分の頭で何か考えるということは
しない。

波には逆らえないし、
逆らわない。

波は、海は、
何をこちらに伝えようとしているのか。

などとも考えない。

実際、修行僧などが
滝に打たれるシーンが
映画やドラマで出てきます。

あれと似通う心理状況ではないかと
思いさえします。

実際、海水浴という習慣は
近代の産物で、少なくとも
一般大衆がレジャーとして楽しむように
なったのは、世界的にも歴史が浅いです。

だから、時代劇で、
海水浴を遠山の金さんや
銭形平次が楽しむ、というような
ことはないわけです。

いや、最近のテレビ番組の
時代劇は何をするかわかりませんので、
海水浴さえさせてしまうかもしれません。

それでも『水戸黄門』で
由美かおるさんがお風呂に入る
入浴シーンはあっても、
さすがに海水浴はなかったと思います。

日本でも修験道や仏教の修行が
始まり、体系づけられたのは、
まだ海水浴という習慣がない時代の
ことでした。

また、自然の脅威は今でさえ、
人間がコントロールできるものでは
ありませんが、まして時代をさかのぼるほど
翻弄されつづける存在だったわけです。

となれば、海で座禅を組むという
こともなかったのは無理もありません。

などと考えるような、
あるいは考えるというほどでも
ないようなことを思いながら、
波に揉まれ続けます。

ものすごい力で
身体ごと揉まれ、
水圧で打ち付けられるのですが、
そこは、戯れの要素があります。

傷もつかないし、
打撃も残らない。

打たれながらも
慰撫される。

優しい打撃です。

続けるとさらに何も考えなくなる。

やはり、座禅ではないか。

と、開眼したとき、
新たな波が目の前に迫っていたのでした。

いいです。

あなたにも、
ぜひ荒波に揉まれることを
していただきたい。

あえて荒波に揉まれてみる。


ご精読ありがとうございました。

懐中温泉