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おまえのかあちゃん、でーべーそー
美しき日本語です。
この、
「おまえのかあちゃん、でーべーそー」
という言葉に接するとき。
私は、美しき日本語、
あるいは美しき日本、
を思わずにはいられません。
この言葉には、
私たち、日本人が共通して持っている
財産が凝縮されているのです。
あ、もちろん、
あなたが、日本人ではないとしても
日本語を読め、理解できる限り、
あるいは理解しようという姿勢にある限り大丈夫です。
あるいは理解しようという姿勢にある限り大丈夫です。
血統の問題ではなく、
共有する文化・思想のことだからです。
あなたが、本記事を読み、
共感していただける限り、
あなたは仲間なのです。
国籍を云々しているのではなく、
志操が肝腎なのです。
さて、
「おまえのかーちゃん、でーべーそー」
この言葉を最近耳に
したことはありますか?
この言葉を発する権利があるのは
子どもに限られます。
しかも、どちらかというと
男の子。
男女機会均等法により、
性別による差別はあってはならないはず。
しかし、これを
口にする女の子は、
はしたない、という以前に
女の子らしくない、とされてしまいます。
少なくとも、
「おまえのかーちゃん、でーべーそー」
が日常生活で使われた社会では
そうでした。
大変残念というか、
惜しいことに、そうした
社会は、すでになくなっています。
この言葉が生きた言葉として
発される日本社会は存在しないのです。
もしかしたら、どこかに
あるのかもしれませんが、
見つけたとたん、消え失せてしまうでしょう。
それでも、幸い私たちは、
記憶として、この言葉を生きた形で
共有しています。
共有している、
共有財産なのです。
日本人の、
日本社会の美徳。
たくさんありますが、
その1つとして、
間接性
があります。
いわゆる「間(ま)」。です。
間(ま)をとる。
これはたとえば英語に直訳することは
不可能ではないかと思いますが、
日本人であればだれでも
理解しています。
ときどきできない人もいますが(笑)
せいぜい、
クッションを置く、とか
距離をとる、とか
でしょうか。
工夫が必要です。
なぜなら、
日本人は、間接キスを
生み出しているからです。
私たちが普通に使う
この間接キスについても、
他の国々の言語を主として扱う人からは
それはなんですか、と聞かれます。
間接キスとは、
直接キスほど直接的ではありません。
そう答えるしかないのです。
あるいは、
直接キスは、
間接キスほど間接的ではありません。
このように説明するしかないのでは
ないか、と思います。
キスは、個人の行動として、
独立した個人と個人が
直接するしかありません。
他方、何か1つの容器で飲み物を共有することは、
たとえ同じ部分に口をつけたとしても、
飲み物を同じ容器で共有する、
という共同性の方に力点が置かれるからです。
個と共同性
1つか全体か
それしかないのです。
しかし、そこに「間(ま)」を
見出したのが日本人なのです。
美しき日本語の粋(すい)である
「おまえのかーちゃん、でーべーそー」
をつくりあげた日本人ならではの
間接キッスです。
根底には「間(ま)」があります。
実のところ、
「おまえのかーちゃん、でーべーそー」
がかくも重要な言葉であり、
日本文化の粋である、とは自分でも驚いています。
ちょっと、本腰を入れて、
考えるべきである、と気づきました。
したがって、今回は
ここまでにしますが、
あなたにしていただきたいのは
「おまえのかーちゃん、でーべーそー」
と口にしてみることです。
あなたが小学生男子でなくても
ちっともかまいません。
あなたのイメージにある
小学生男子になったつもりで
言ってみましょう。
言って、しみじみ味わって下さい。
ご精読ありがとうございます。
ご精読ありがとうございます。