クロアチア、スプリットの街にあるディオクレティアヌス宮殿
ローマ皇帝ディオクレティアヌスが余生を過ごす為に西暦295年に建設が始まります。
皇帝が退役した西暦305年5月1日からおよそ10年ほどこの宮殿で住んだと言われています。
この宮殿は皇帝の住居としてだけでなく軍隊の住宅も備えてありました。
(最も有名な想像図)
皇帝ディオクレティアヌスの没後この宮殿は見放され7世紀になり宮殿が発見されるのです。
宮殿内にある皇帝の霊廟が大聖堂として現在でも残っているのですが(六角形の建物)、7世紀から8世紀の間に大聖堂として形を変えたと言われています。
キリスト教を弾圧していた皇帝自身の霊廟が後に大聖堂になるとはなんとも皮肉な運命です。
スプリットの街は時の流れと共に姿、形を変え現在の形になりました。
現在残存しているのは要塞、門、大聖堂(霊廟)そして地下です。
この地下は有料ですが実際にる入る事ができます。
宮殿の建設が始まったのは西暦295年。
当時日本は弥生時代です。
私達の祖先が竪穴住居で暮らしている時ローマ人は巨大な宮殿を建設していました。
地下に入ってみて驚かされるのは保存状態の良さとスケールの大きさ。
発見された当時はゴミで埋みつくされていたんですって。
そのおかげで保存状態が良かったとか。
(奥の方はまだ土で埋もれているのがわかりますか??)
地下内はいくつもの部屋に別れてい宮殿に使われていたと思われる梁や皇帝がエジプトから持ってきたスフィンクスなど貴重な遺跡が展示されています。
とにかく保存状態が素晴らしく当時のローマ人の技術の高さに圧倒されます。
まだ未発掘の部分が多くて館内を歩いている間も未発掘の部分に出くわします。
地下という事で暗くてひんやりとしているので閉館間際に一人で周るには少し勇気がいりました。
気になる空間があったので怖い物見たさで行ってみたら地上に続くと思われる秘密の階段を発見!
もちろん土に埋もれていて柵がはってありその先に進めれませんでしたが遺跡好きの想像力を掻き立てる遺跡です。
(印の先には秘密の階段が...)
1600年前に築かれた建築物の中に自分がいるのかと思うと身震いがします。
目を閉じると当時の宮殿の暮らしが聞こえてきそうです。
(こちらでは時々コンサートなどが開かれるそうですがたまたま練習に出くわしました。音量ONで見て下さい)