『女の朝パート1255』 | ☆らんちゃんブログ☆

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落花流水。今在る事の意味や流れを感じながら、自由に書いていきます☆

5月3日土曜日

今日はゴミの日。

とりあえず、

ゴミに埋もれた想い出の中で一人悲しみ苦しみ怯えてる人がいた。

そろそろその執着を捨ててしまった方が、依存もしないし、匂わないし、楽になるのに、、などと普通に思う。

きっと今日みたいな御機嫌麗しい空になる。

しかし昨日の天気とは大違いである。

話をいきなりすり替えたり切り替える人間みたい。


とりあえずまるで子供と大人ほど。

肉体的に成熟したとしても、

精神的に成熟した大人になりたいもの。

とりあえずそんなにそのゴミが大事ならば、

本気で守り抜くのも、今の時代ありだろう。

きっと誰もとめやしない。

それがきっと道になる訳だから。

生涯のパートナーとして安心安全な暮らしが約束される。

でもゴミに埋もれ、このまま変わらず、何もせず、生きていきたいのならば、

やっぱりアタイは口出し、手出しはしないし、

残念ながら、その様なゆとりは生憎持ち合わせていない。

でも、もし、行きたい場所があり、

会いたい人間がいるのらば、

それがある時からの、お楽しみや夢だったならば、

先ずはそのゴミを捨てることから始まるのが、

妥当な大人の判断であろう。

進みたいなら、先ずは自分が強くなり、乗り越えていかなければ、誰かがまた被害者となる。

慇懃無礼の殿様か?

などと想いながら、今日も変わらずいつもの事をした。




とりあえずパシャリ。

そしてアタイはフチ子を見る。

アタイのフチ子は、今、

御機嫌麗しくなった空をみあげているみたいである。

眼を閉じても開いても浮かぶ人間が、アタイにはいるけれど、

今のフチ子は、私ではないのは確実である。




一体何を想い、考えているのだろう?

しかし、本来お休みである土曜日でも、

お仕事を頑張るアタイのフチ子。

時に頑張り過ぎ、大丈夫かぁ等と思うけれど、

そんな時はアタイが寄り添う。

いや、アタイが寄り添いたいだけなんだけどね。



でもアタイはどんな時でもフチ子を照らし続けたい。

月になって。

そう。月になってね。

実はアタイの生きる世界も暗く、

闇も深く、それは行き場もなく、

どこまでも拡がり、

でも無数の星が輝いてるのは確かな事なんだ。

何かひとつだけでも、

キラキラしたものを掴み、大事にしたいものである。



完。



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