女は自分で110番通報したにも関わらず一瞬我が耳を疑った。
この状況を理解しようとするも追い付かず、
しかし自分の気持ちが異様に穏やかで、
何故かとても冷静でいられたのも信じられなかった。
私は今何をしているのだろう?
事故でもないし事件でもない。
事故か?事件か?
そのどちらかを今すぐ選択しなければならない程、重要な事のだろうか?
それともなに?
私はこの電話のやり取りだけで、
自分の人間性を試されようとしているのだろうか?
解らない。解らなかった。
事故とも言えるし事件とも言える、、。
でもどちらでもない。
それとも、
受話器の向こうにいる人に向かって、
そのどちらかでなければならないのかと、
今となってはどうでも良いことを聞き返そうとしていた、
滑稽な自分を思いだし、
今ではほんの少し笑えるかもしれないけれど、
実際の所はちっとも面白くなく、
しかしこの時ばかりは自分が口がどもり、
えっと、あの、えっと、行方不明なんです。
と言う答えをだし、解りやすく落ち着いた口調で、
担当者に伝えていたのだった。
はい。行方不明なんです。おんなが出ていきました。
では、今からパトカーの手配をさせますから、
あなたのお名前と住所、そして行方不明になった方のお名前と年齢、その時の服装など、順を追って質問しますので、お答え願います。
はい、解りました。
女は全ての質問に答えたあと、
後は警察がおんなを捜し出してくれるかもしれないと、微かな希望を見いだすも、
この時ばかりは、私は本当にひとりぼっちなんだと、
寂しさや孤独、疲労の厚みが重みを加え、
更に増した事を思い知ったのだった。
女は最後に見たおんなの後ろ姿を思い浮かべた。
思い浮かべたと言うか、
長いフィルムのある部分だけを切り取ったかのように、
あの時のおんなの後ろ姿だけが脳裏に焼き付いてしまったようだった。
今でも、そしてこれからも忘れられないだろう。
憎しみと諦め、不幸と悲運、困難と絶望。
あらゆる災難を一塊にし自らそれを背負って仕舞った寂しい後ろ姿。
ぷいと背中を向け玄関を開けた時、その僅かな隙間から見えた空は真っ暗だった。
夜の闇は、巨大なブラックホールみたいに気味悪く、
出て行ったおんなを丸ごと受け入れようとしてるようにも見え、
この時ばかりは、自分の生を呪い、
これから起こる悪い兆しを無言で報せてくれているかのようだった。
ぞっとした。そんなこと誰も望んでいない。
でも大丈夫。
あなたは警察官に発見されて又ここに戻ってくる。
だからなのか、
女はおんなの後を直ぐに追いかける事をしなかった。と言うのは、自分の気持ちを宥めたいだけの言い訳に過ぎず、
あなたは自分で決めて自分の足で出ていっただけ。
一瞬の戸惑いや、迷いがあなたに信じられない行動を起こさせただけ。
いずれにせよ、自分の足で必ず戻ってくると、
おんなを信じたかったし、そして自分も信じたかったのだった。
それでも朝はやってきた。
そしておんなも戻ってきた。
おんなが信じられるオンナに寄ってだった。
オンナはおんなに激しく叱ったと言う。
女には信じられなかっただろう。
そして苦しく惨めだったであろう。
朝は、どんな時でも、どんな人にもやってくる。
平等と言ったら平等だけど、
自分勝手と言ったら自分勝手である。
こちらが抱えている苦悩も知らず、
眠れぬ夜もお構い無しに、
朝はいつも自分勝手にやってくる。
一体何杯の珈琲を飲んだのか?
そして味も解らないくらい飲んでいた。
事件ですか?事故ですか?
あなたは被害者ですか?それとも加害者ですか?
と言われている気がした。
完。