

ワタシは他の季節に紛れこんでしまったみたいよ。。。
暖かい陽射しを浴びてるのよ

もし、
愛情が暖かい陽射しだとすれば---

憎しみは暖炉の中のくゆる炎みたいなものだと思えない?
ちょっとイメージしてみて


アラ例えが強引だったかしら。?


危険はあるけれど、とても魅力的だと想ふのよ

度を超さなければ生活に張りが出る。そんな感じかしら。
炭は役にたつじゃない。
毎日毎日火箸でつついて、じっと眺めたりひっくり返してると、じわじわ別のものに変わってゆくの。
自分のどこがジリジリ焦げついて変化してゆくのか解る感じ。
消えてゆくのをただ眺めるか、又は心奮い起たせるエネルギーにするか?
どちらにしろアレよね。
自分の目の行き届く範囲で慣らす事なのかなって思う所よ。
近くにあって観察をしていないと、こっちが傷つきそうじゃない。
火傷だけで済めばラッキーよ。跡として傷にならないかしら。
もし長い間を楽しむのであれば、必要な時に炎をつついて、自分を、あたためる事も出来ると想ふのよね。
暖炉の中のくゆる炎の本当の醍醐味って
もしかすると暖かい陽射しと紙一重だったりするのかもね。。

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