スキャンダル / 遠藤周作/著


「人生の同伴者」 において遠藤氏が

初めて本格的に悪について取り組んだ作品であると語られていた本作。

ずっと読んでみたいと思っていたが、絶版になっていて手に入らなかった。

しかし最近偶然立ち寄ったブックオフで発見し、読むことができた。

この作品はこれまでの遠藤文学とは明らかに趣が異なる。

私は登場人物の勝呂が遠藤氏自身とは思わないが、

勝呂が作中述べている通り自らのテーマを追求する過程で、

結果的に性や生々しい欲望の描写を避けてきたというのは、

遠藤氏自身の考えでもあったのではないかと推察する。

それが負い目となったのか、

はたまた純粋に悪からの救いはあるのかという命題への興味なのかは定かではないが、

これが書かれた当時は遠藤氏が悪からの救いは存在するのか、

存在するとすれば何なのかという問いに正面から取り組んでいこうとしていたのは間違いない。

そういう意味で本作はまだ序章といった感じだ。

悪が存在することを示したのが本作であり、

その先の救いについては光という言葉であいまいに触れられているにすぎない。

しかし、ご存知の通り次作が書かれることはなかった。

大変残念であり、日本文学における大いなる機会損失であるとさえ思える。

しかし、体調を崩し自分の残りの生を考えた時、遠藤氏が深い河を選んだのは当然のことのようにも思える。

悪を扱うには時間が足りなすぎた。

中途半端に書いては、それこそ遠藤氏の築き上げてきた思想を汚すスキャンダルになりかねない。

本作が何故絶版なのかは知らないが関係者が

遠藤氏の著作リストから外してしまいたい気持ちも解らぬではない。


「群集はイエスが血まみれで十字架を背負って刑場に行く時、罵ったり石を投げつけたでしょう。

あれはいつも申しあげる快感のためだったとお思いになりませんか。

無垢で清らかな人間が眼前で苦しんでいる。

それを更にいじめる快感があの時、群集のすべてを支配したと考えてはいけません?

イエスがあまりに無垢だったから、あまりに清らかだったから……わたくしたちが破壊したくなるほど……。(後略)」