幸せは、苦労しないとなれない。
幸せの為にする苦労は、不幸なのではない。
幸せの一部なのである。
では、やっと幸せを掴んだと思ったのに、また転落した時には、どう思えばよいのだろう。
人に会うのが怖くなる。
時間が過ぎるのをひたすら待つ。
何もできないと、諦める。
やる気が起きなくなる。
どうでもよくなる。
神にも素直に祈れない。
どこからこのようになったのか糸口を探るにも、考えたくないので、この結果を受け止める他無い。
掛け間違いながらボタンを掛けた結果、最後にかけるボタンが無いのに気付いた時には、奈落の底に立っているのである。
非常に恐ろしいのだ。
簡単に0にする事は出来る。ただ、0から何かを生み出す事程、大変な苦労はない。
そこでまた、幸せへの苦労が始まる。
つまりどの時点にいても、結局は幸せなのである。