どうもみなさんこんにちは、寂兎です。


最近、少しずつ日が長くなってきましたね。

私は、気温や天気の変化が著しいのについていくので精一杯ですが、かすかに春を感じるところがあると、どこか心がほっとするので大好きです。



さて。そんな今日ですが。

今回は、コミュニケーションについて書きたいと思います。

2つ目の投稿でさっそく自分の考えをつらつら述べますが(笑)

読んでくださったあなたの心に、「あ、そういう考え方もあるのか」と、刻まれてくれたらうれしいなと思います。


"コミュニケーションとは何者であるのか"などという壮大なタイトルをつけましたが、みなさんはどう思いますか?

"コミュニケーション"とは。
大多数の人がまず最初に考えるのは、"言葉を交わす"という意味でしょう。

Wikipediaには、"社会生活を営む人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達"とあります。

うん。間違ってはなさそうですね。
"伝達する"ということは、なんらかの方法で相手に何かを"伝える"ということですし、その場合、"なんらかの方法"とはきっと"言葉を交わすこと"でしょう。


ですが、果たしてそれだけでしょうか?

私がひとつ、提唱したいと思うのは、"世に生きる、「話す」という能力を唯一与えられた『人間』が、正しくその能力を使えていないのではないか"ということです。


『ことば(日本語や英語)』を使って「話す」という"能力"は、地球に住む他の生命体は持っていないものですよね。

まあ、犬や猫が犬語や猫語を話している可能性もないとは言えませんが。

でも、私は、犬や猫たちの方が、よっぽど上手に"コミュニケーション"できていると思うのです。

"コミュニケーション"とは何者であるのか。

私の答えは、


"「話す」こと、そして、「聴く」こと、さらに、「聴いているということを、相手に示す」こと、最後に、「聴いたことで相手を理解し、相手を知覚する」こと"です。


みなさんはそれができているでしょうか。

自分の話ばかりで、相手の話はしっかりと聴かない。

聴いたところで、「ふ〜ん」で済ませ、理解しようとしない。

そもそも、「聴く」という行為ができておらず、「聞く」だけで、耳から耳へと話を流している(「聴く」と「聞く」の違いについては、詳しくは書きませんが、簡単に言うと、注意深くきくか否かです)。


こんなのはとんでもなくバッドコミュニケーションです。

「言葉を発すること」だけがコミュニケーションではありません。

「言葉を耳に入れること」だけがコミュニケーションではありません。

「理解したように見せること」だけがコミュニケーションではありません。


自分が「話」をした後には、相手の話に耳を傾け、しっかりと「聴き」、相手を「理解し」、相手を「知覚する」。

相手の言うことを必ず全て肯定し、認める必要はありません。

ただ、「この人はこう思っているのだ」ということは、コミュニケーションには必須の最低限の理解です。

そこから先、その意見が『正しい』と思うか、『間違っている』と思うかは聴いた人の自由ですが、まずは「理解すること」。



"コミュニケーション"の本質は、そこにあると…私は思っているのです。