気持ちが穏やかな時は、自分はもう穏やかな人間になれたと思う。

気持ちがざわざわする時は、自分はまだ穏やかな人間になれていなかったと思う。

これはある時の自分を自分の全てだと捉えがちになる私の癖なんだと、最近ようやく理解した。


自分の仕事が切羽詰まっていれば、御仁に長いこと逢えてないことも気にならないし、そろそろ逢おうかといわれて、気が重いこともある。


そうだあ、人間の姿はひとつじゃ無い!


だから、その時の自分を面白がるか、爆破するしかない!

あの時ああ言ってたのにねえ〜私めキャハハッと!

あれもどれも自分なんだから、責めずに仲良くしようよ。


浮いて沈むは、結局ひとり遊びにすぎない。

だから笑うしかないし、慈しむべきものなのだ。


逢えないことに慣れて、逢うのがしんどく感じる自分。

しんどいなと言いつつ、そわそわ支度する自分。

途中の会話でややディスられたと感じムカっとする自分。

別れ側の態度の冷たさに苛立ちを感じる自分。

逢えたら逢えたで離れた時に切なくなる自分。


一人何役も、忙しいね。


でもいろいろな自分がちゃんと登場してることが素晴らしい。

押さえつけられて出演できない時代も長かったのだから。

私のエゴの削ぎ落としはこれかな。

素直なキャラたちを舞台に立たせて、ようこそ〜と迎え入れていく作業。


頑張るよ!みんな大好きだぞ❤️


最近の自分は妙に穏やかだ

御仁の連絡に一喜一憂して消耗していたのが懐かしいくらい


私の変化の理由は多分二つある

ひとつは一喜一憂して自己嫌悪する自分をあるがままに御仁にさらけ出したこと


それまでは御仁みたいに立派になりたいと思い、御仁に対して弱音を吐かず良い子ぶるのに降参したのだ


それは御仁に自分をさらけ出すこと以前に、何より自分に嘘をつくことをやめ、良い子になれない自分を責めることをやめることだった


そしてようやく自分と仲良くなれたから、御仁が何をしていても大丈夫になったのだと思う


もう一つは、夏に向けて御仁が大きなプロジェクトを成功させるために尽力していることを聞いているから


そもそも私は成すべきを成す御仁に惚れているのだ。たとえ近くでその姿を見られなくとも、御仁が無事にプロジェクトに向かえていられることが何より嬉しい。


そうして私は自分の成すべきことに向かうのだ。

成すべきを成す姿を互いに讃えて。

御仁との時間

普段は思考の強い頭が不思議なくらい静かになる

 

究極的に無になった瞬間、涙が溢れていた

 

自分でも涙の理由はよくわからない

しばらく逢えなくて悲しかったとか

御仁が無事でいてよかったとか

そういう感傷的な感覚ではない

 

この瞬間にただ感謝な感じ