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最高の天気だったこの日のフライト。
福岡空港に降り立つまでも、本当にくっきり。
グーグルマップを立体的に見てるようでした。
1枚目は博多湾の東部分。
あっという間に埋め立てが進んで、
今やアイランドシティという新しい地域に。
東京でいうお台場のような場所。
まだまだ埋め立てられたばかりだけど、
少しずつタワーマンションできたりして。
お台場も埋め立て当時は13号埋立地という名前しかなく、
PVの撮影なんかでよく行ったものでした。
それがあっという間にあんな感じに。
博多もそうなっちゃうのかな。
2枚目は貝塚駅あたり。
ちょうど西鉄の車両が写ってます。
ここは地下鉄と西鉄の乗り換え場所。
今時の相互乗り入れではなく、
リアルに電車を乗り換えます。
これもまた、乙!
自分が子供の頃は、西鉄宮地岳線という名前で津屋崎まで。
かなり長い路線でしたが、今は残念ながら西鉄新宮駅までに。
路線が廃止になっていくのは、
本当に寂しい思いがします。
地下鉄ができるまでは、西鉄の市内電車。
九大のキャンパスの真ん中を、電車が通るという時代。
文系のキャンパスから理系に行くときは、
この電車道を渡って行ってたような記憶です。
今はすっかり地下鉄になったので、
わずかに面影が残るのみ。
大好きな「ブラタモリ」でもこの辺りが特集され、
タモリさんもその電停跡を懐かしんでました。
3枚目は懐かしの九大キャンパス。
今やほとんどの学部は糸島に移ってしまい、
この辺りは順次取り壊しとのこと。
時代の流れとはいえ、本当に、寂しい。
六本松の教養学部跡も、
今やすっかりマンションとかの建築物が立ち並び、
もうあっという間の様変わり。
だからこそ記憶を次につないで行くことは、
とても大事なこと。
戦争も災害も、記憶をつないでこそです。
被災地の小高い丘に建つ神社は、
波がここまで来たという当時の証というものがあります。
人間は良くも悪くも忘れてしまうもの、
こうして記憶に残して次の世代に渡すのが、
今の自分たちの役目なんだと思ったりします。
モノはいつか壊れるけど、
ココロは繋いでいけるもの。
自分の歌もそうありたいです。