あしたのことも、1時間後、1分後でさえ
確定してることなんてなにもないのに
そんな遠くの未だ来ず「未来」をここからながめて
あえてわざわざ望まない方へ意識向けることないんじゃないかい?
相田みつをさんの
「その場がきなけりゃわかんねえ byみつを」ことで
不安の先取りしてるほどじんせい長くないのに
わかっちゃいるけど不安になるのもにんげんだものね![]()
ならばと
筋トレみたいに
意識の切り替え練習してたら
不安にとらわれなくなれるもんで。
情報の波にのまれまくって
あっちへどんぶらこっちへどんぶら放浪しては
不安で更なる不安つくりだし感情ゆさぶり回されてたサイタでさえも
その場がきなけりゃわかんねぇですぜ![]()
をこうして冷静にながめてどんな現実をも面白がれるようになった今
(心配性選手権あったらぶっちぎり優勝してたであろうあの私が)
「心配」や「不安」て
「しても無駄」ってレベルじゃなくて
「してはならぬ」と感じる現実味わったからこそ
不安を切り替える(ただただ好きなこと心地よいことにフォーカスする)練習は
全人類の必須科目にしたらどうだろうって思います。
日々の小さな不安もしかり。
2025年がどーとかこーとかいわれてる話もしかり。
不安煽るような情報ばかり目につくようなら
切り替え上手をゆるく目指す「こころの筋トレ」
おすすめですよ。
いやなことを想像すると
いやなことばっかりが目につくようになり
そしてやがて想像までもが現実になることがある。
ありたい今を想像してると、
そこにふさわしいものばかりが目にとまるようになり
想像の中のありたい現実が目の前に形づくられていく。
ほんとうにそうなるからふしぎだけれど
自然の摂理(法則)にならってみれば
不安になってるひまなんてないはずで
それでもネガティブに寄りがちなのも人間だもの。
だから仕方ない
で済ませばかんたんだけどね
なにより
自分の心も、みつをさんも、かなしみます。
こころとからだと感情は
できるだけゆるめとくほどいいことだらけ。
わかっちゃいるけど
だからね
不安持ったままでいいから
安心つくる道を毎日少しずつえらぶ練習するんだよ。
それさえわすれなければ大丈夫だよ。
と背中を押されたきがして
今日のサイタはこのきぶん
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
きょうもきのうより。
今がさっきより。
ほっとするひととき積み重なることで
みんなとみんなの大切なひとの周りが
「ほらね、大丈夫」という現実につつまれますように。






