「おもいこみがある。」と
きづくだけでよかったんだ。
「きづくだけのこと」
あのころは
それが、なかなかどうしてむずかしかった。
なにかがうまくいかないとき
何もかもがうまくいかないと感じるとき
不安や不満のもとには
かならずといえるほどたしかにそれは存在している。
目の前にある世界はいつだって
自分が思い描いた通りの現実が
自分専用のフィルター越しに見えているだけ。
認知症は治らない
も、そう。
くすりがないと悪化する
も、そう。
おかねがないとくるしい
も、そう。
ほんとうに、そう?
ってひと呼吸おいていろんな角度から目の前の現実ながめられたら
すべてはゆっくりとやさしいほうへ動きだす。
やさしいじかん、ながれだす。
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不安をまとった世界にあるのは
たぶんきっとぜんぶがぜんぶ、
おもいこみのいたずらなんだ。
目の前にある現象の有無が
幸かふこうかをきめるわけじゃなくて。
どんな現実も
真実はいつだって「じぶんにとって」の中にしかなくて
最善の解決策はすべてがそこにかならず存在してる。
それなのに
他者とのあいだにある認識のズレに振り回されて右往左往したりして。
目に止まる、耳に入る、
どこからともなく降ってくる情報を
「誰かにとって」のままで受け取らず
「じぶんにとって」でながめて見極める目
みひらいておけたらいつだって
ぼろんぼろんと目からうろこがおちまくる現象あらわれだすんだ。
もうどこにも道がないようにおもえてくる日でも
ゆっくりとでもひとつずつ、不安の元にある思い込みをみつめた先に解決策はかならずみつかる。
偶然見かけた奇跡のお話、ふたたびお借りします🙇♀️
奇跡的に認知症が治ったおばあちゃん👵 pic.twitter.com/toeTuuBvvr
— 新命明輝(三剣真一) (@AKIRASHINMEI02) 2024年10月15日
認知症と診断された祖母との在宅介護の日々も。
大切な人のやまいを知らされてからの残りじかんにも。
収入が途絶えてからの現実の中でも。
動けば動くほど現実が深刻化していったのも
笑顔になれないのも
認知症に対する自分の中でのおもいこみが
やまいに対する、おかねに対するじぶんの信念が
勝手に自ら育て根付かせただけのその思いこみによって
不安な現実をつくりだしてるにすぎなかったんだ。
しあわせだから笑顔になれるんじゃなくて
笑顔でいるからしあわせがやってくるんだよ。
認知症もやまいもおかねをめぐるあれこれすべてをおこいこみからやっかいものにしていたあのころは
かけてもらったこのことばにも反発心しか持てなかったけど
すべてが通り過ぎて思い知ったんだ。
上手につかえば思い込みは
魔法みたいにものすごいチカラを発揮する。
一方で
そこからズレた形でおもいこみが幾重にもからまりあえばときに人生をくるわせるほど
不安を切り替える練習は人生の必須科目にすべし。
没頭できることにほんきで向き合う時間もつべし。(ネガティブなおもいこみにきづきやすくなる助けとなりそなことのひとつとして第一段階での「きをそらす」が有効だとつねづね感じている個人的なおもいからのご提案)
おもいこみの存在を否定せず上手に利用、活用すべし!
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きょうもきのうより。
今がさっきより。
ほっとするひととき積み重なることで
あなたとわたしと
それぞれの大切なひとたちが
「大丈夫」につつまれますように。