もうちょっと手前でできること
もっときっとあったはず。
状況はそれぞれみんな違うから
正解も間違いもないけれど
それでも
がんばりすぎの先での後悔は、
しないにこしたことはない。
っておもう。
すべてをおえて
後悔からのそんな想いと違和感うずまいて
「がんばらない」ほうの道の先にあるもの
探しつづけてみた11年。
ある想いに行きついた。
「そのまえにたいせつなこと」がやっぱりある。
この11年で在宅でご家族の介護を担っているかたとたちと
「ちょうどいいあんばい」を一緒に模索しながらようやっとすこしずつみえてきた。
自分じしんもあのときできずにいたこと
りきみをほどく
がんばるをゆるめる
それは、とっても大事。
だけど
その前段階で見過ごすがちな
それよりもっと大切なこと。
じぶんのおなかが発してる声をただしく聞けている?
通り過ぎて
振り返ってみて
今ならわかる。
いくらがんばらないと決めたところで
じぶんの「本当の想い」を無視していたら
「いいあんばい」とは一向に出逢えずにいるの無理もない。
がんばろうと
がんばることゆるめようと
なぜか程よい状態保ててるときって
その声をちゃんと聞こうとしてるときなんだ。
関わるみんなのさまざまなケースでも
そこが共通してるの実感して
あの違和感もふにおちた。
どっちがいいかわるいか、じゃなかったんだ。
がんばっても
少しゆるめてもどっちだってよかったんだ。
自分の内側で発するこえ聞き逃さないように
耳かたむけることさえわすれなければ。
したいこと。
たべたいもの。
話したいこと。
がまんしてること。
きになってること。
モヤっとするちいさな違和感。
ざわっとなるおっきな違和感。
本当は言いたかったのに飲み込んだことば。
本当はそっちがよかったのに譲ったもの。
本当はしたかったのに遠慮したこと。
本当はすきなこと。きらいなこと。
口に出せずともおなかの奥では今もずっと発してる
じぶんの本当の声に耳を澄ませてみる。
誰かの期待にそうことで解決しようとせず
自分の中の声の期待に応えてみる。
ちいさなことでも無視せずに
まずはひとつでも叶えてあげられることないかなって探ってみる。
目の前のことは
ほんのひとときいったん保留にしておいて
だれかじゃなく自分の中の問題からまずは解決する(叶える)
(ネガティブな願望が出てきた時はGoサインでなく「勘違い」の合図なのでそれはいったんストップして保留。
きぶんが上がることほっとすることならばGoサイン。)
すぐに解決がむずかしいときも
私は今そういうきもちでいるんだなって自分の内側をただ静かに眺めてみる時間を持ってみてはどうだろう
その思いがいいとかわるいとかの評価はせずに
そうかそうかとただただ聞いて受け止めてあげる時間をつくるのはどうだろう
そんなふうに自分の心に正直でいられる道を模索することあきらめずいる限り
自分のえがおが目の前の人のえがおも増やせる道につながっていく。
大切な人たちと一緒に同時に
こころ軽くなる道かならずみえてくる。
土台となる「じぶん」との対話がつづくかぎりは
どんな問題があろうとちゃんとまえに進んでく。
どこをどう通ろうと
よきほうへとうごきだすようになっている。
その仕組みみたいな流れがふにおちたとき、サイタはこわいものがなくなりました。
自分の内側で発してるものをみぬふりすれば
目の前で起きることの流れも滞るけど
じぶんの内側をいいあんばいで保とうと目を向けるだけで
外側の現実も連動してかってに動き出すんだもの。
介護にかぎったことではないけれど
この世界はいいもわるいも状態に見合ったものが引き合うようになっているようで。
自分の状態をおろそかにしないための優先順位さえまちがえなければ
あれこれ考えなくたってあとのことはなるようになるし
なるようにしか
ならないもんね。
じぶんのココロモチがほんの少し変わっただけで
奇跡みたいっておもうよなことだって普通におきる。
きのうまで悩まされていた問題行動と言われるようなことが
どういうわけだかぴたっとおさまったりする。
そうして心とからだが自然とゆるまりはじめたときに
視界がはれたように次々に
思いもしなかった解決策やアイデア現れたりするもんです。
どうにもならないと匙をなげたくなっていることだって
ちゃんとどうにかなっていくからふしぎです。
なにを選ぼうと
どう生きようと
優先すべき順番おもいだせたら
すべてはいいあんばいで良き場所へ収まるようにできている。
だから
ぜったいだいじょうぶ。
じぶんのことをしてる余裕なんてないんだ。
「がんばりすぎない」とかきれいごといわないで。
っておもうときほど
じぶんを満たす手段に集中するタイミング。
ふしぎなくらいにそれが近道
っておもいます。
これでよかったんだと
こたえ合わせできるのは大抵あとになってからなのが悩ましいところだけれども。
じぶんを優先する(笑顔にする)ことに
罪悪感なんて感じなくても
がんばる道も頑張らない道もひとりじゃなく
だれかや何かにたよりたよられ進むことからいいあんばいは
かならずかならずみえてきます。
そうは言ってもね。
自分を後回しにするがあたりまえの状態に長くいたひとにとってはね
そもそもの「おなかの声を正しく聞く」
が想像以上に難解となる。
そんなときは
「じぶんがほっとすること」
をことあるごとに探すくせを
つけておけると良いと思うのですよ。
見つけたらメモを取るくせも
ついでにつけておけるとなにかが変わってきますよ。
ちいさなことから
いっぽから。
それでもおもいうかばない
そんなことかんがえてらんない
ってときは
手の甲をおひさまにあてるじかん増やしてみる
をひとつのご提案としたいです![]()
おひさまがげんきのもととなるビタミンDを体の中につくってくれて
チカラの源を全身に送ってくれて
それだけでもおなかのおくからあったかくなれますよー。
介護にかぎったことではないのだけれど
そんなことしたって、、
っておもうことほど
そこにヒントがつまっているよにおもうんです。
そのチカラは
想像以上におおきいなあと
みんなをみていて思うんです。
「いいあんばい」見つかってない人に届くといいなと
いま、ふと思いたったのだけれど![]()
この11年
サイタがじぶんやまわりのみんなと試してきたことをね
いっぺんリストにあらいだして整理みようとおもう![]()
たぶんぜんぶ、
だれでもかんたんにできることしかないとおもうから。
計り知れない作用
実感してることたくさんあったから。
相当な数ありそうだけど
なんかわくわくしてきた![]()
まとまったらまた
シェアしたいとおもってまーす![]()
![]()
![]()
![]()
きょうもきのうより。
今がさっきより。
ほっとするひととき積み重なることで
あなたとわたしと
それぞれの大切なひとたちが
「大丈夫」につつまれますように。