先日、名古屋ラボにおいて今後の事業方向性を

ブレストして決めていこうという時に、発散系の

議論はそれなりに意見が出ていたのだけれど、

そこから、議論を収束させ最後の方針を決めるという

段になってなかなかうまく意見がまとまらない、

ということがあった。







結局、見ているのがもどかしくなって僕もそこから

議論に入って収束させていったのだけれど、なぜ

彼らはうまく収束させることができなかったのだろうか、

ということを考えてみた。







自分自身の経験を思い返してみると、

学校での議論と社会人となっての議論は最後の

意思決定の仕方が決定的に違うように思う。







小学校や中学校での学級会(?)で学芸会で

何をするかを決める際に、最初に意見を出し合って

最後は多数決で決まったことが多かった。

というか、意思決定においてそれ以外使わなかった

ようにも思う。







一方で、社会人となって会社を立ち上げて事業を

進めていくうえでは、意見を出し合って、というところ

までは一緒でも、最後の意思決定のところにおいては

多数決で意思決定を行う、ということはほとんどない。

(もちろん株主総会や取締役会での議決事項は別です)







むしろ議論を出し尽くした後においては、トップが

それらの議論を踏まえた上で意思決定を行う、ことの

ほうが多いように思う。

その際には見た目の派手さや短期的な視点にとらわれずに、

中長期的な視点から少数派の結論を取ることもある。

時に反対者多数の中でそういった意思決定を行うのは

孤独を感じることもあるけれど、でもそういった

経験こそが実はその人を成長させていくものだと思う。







こうやって考えてみると学生にとって異なる意見を

収束させ、トップが責任を持って最後の意思決定を

行うやり方の経験量が少ないのかもしれない。

こういうやり方は悪くいうと独裁とか、言われがち

だけれども、僕の観点からするとこれはリーダーシップの

ひとつのあり方でもあるように思う。






マキァヴェッリが『君主論』にてこう書いているように

「すべての政体は、すなわち昔から今まで人びとの上に

政治権力を行使してきたすべての支配権は、

昔も今も共和制かさもなければ君主制である。」

この2つをいかにうまく併用しながら使いこなして

いくことが組織をまとめ、意思決定する際には必要

なんだと思う。







さて、そんな名古屋ラボに先週から新たな仲間が3人加わりました。

たぶん、今名古屋で一番ホットな場所「本山ヒルズ」に

いろんなおもろい学生が集まり始めている。

事業としては、最初に出した「みんなの就活Data2011

という企業のエントリーシートを無料で閲覧できるiPhone

アプリしかまだ出せてないけれど、

これをうまく膨らませていきながら事業をさらに拡大

させるべく、頑張っていきたい。