ECナビとして、今回の東日本大震災に対して
JustGivingさん経由でCivicForceさんへの義捐金を
させて頂いたというご縁があって、現地へ支援物資を
運んだり、実際にどのような支援が必要かを見に行かないかと
誘われて、日曜日に往復14時間かけて東北道経由で、
今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた南三陸町へ
行って来ました。
東北道は、那須高原を越えた辺りから応急処置はして
あるものの、普段の高速道路では考えられないくらいの
ところどころに起伏があって、かなり揺れました。
その後、一関ICから下道で南三陸町へ向かいました。
途中で既に現地で支援活動をしているCivicForceの方と
合流して、現地での被災者の方への配慮の仕方などの
レクチャを受けた後に、向かったのですが、まず
驚いたのは、山を越えるとすぐに津波の被災地でした。
そこからはまだ海が見えないのに。。。
今回の津波の高さ17mといわれていますが、その威力は
海岸線からはるか離れていても平地部分を流し去った
いったとのこと。
根元から折れた電柱は山側に向かってぽっきりと
折れていました。
その後、まずは現地の荒砥という小さな漁村の
避難所でのボランティア活動を行いました。
ただ正直、現地で僕らが実際にやれることは限られていて
(というのも、漁に使う網などの道具も散乱しているが、
個人の所有物でもあるため、そこの整理がつかないと
片付けも出来ない状況だったため)、僕らとしては
集会所の崖の植木やガレキの撤去作業をしただけでした。
何も出来ない自分たちに歯がゆく感じました。
ただそこでの作業が終わったあとに、現地の被災者の方達に
わざわざ東京から来て作業してくれてありがとうと
言われ、逆に元気をもらったような気がして
言いようのない気持ちに。
その後、CivicForceが既に現地の被災した保育園の
跡地に設置している簡易風呂を見学に行きました。
まだ保育園の内部は片付けもされていない状態。


それでもそこの園庭にCivicForceさんによる簡易風呂が
設置されていて、近くのドラム缶(?)みたいなところで
お湯を沸かしてお風呂に入れるようになっていました。
こういう支援はなかなか赤十字のような団体だと機動的に
出来ないように感じました。


その後、ベイサイドアリーナに設置された避難所に行きました。
ここはかなり大規模な避難所で、自衛隊の方も数多く、
イスラエルの医療チームやら国際色豊かな避難所になっていました。
ここでは、体育館に収容された物資を更に地域の避難所に
配送するためにトラックに積み込むお手伝いをさせて
頂きました。

ここでは日本の各地から送られてきたもの以外にも
インドネシアからのもの、台湾からのもの、タイからの
もの、本当に世界各国から物資が送られていました。
今回の南三陸町へはミュージシャンの布袋さんも一緒に参加していた
のですが、我々と同じようにボランティア活動をしていたのが
印象的でした。
作業の後はみんなにサインをせがまれて100名以上の方全員に
サインをされたのですが、サインをすることで本当みんなが
笑顔になるのを見て、存在だけで人を笑顔にさせるというのは
本当にすごいパワーだなと。モノだけではなくこういう想いも
今後支援活動としてより重要になっていくように思います。

その後、市街地跡を抜けて海岸の元市場があったところへ
向かったのですが、先ほども書きましたが、
海が見えない場所へも津波の被害はあり、驚くほど
内陸部まで被害を及ぼしています。
どれほど津波の威力が強かったのかがこれを見れば
イメージできるかと思います。
コンクリートで固められた海岸も地盤沈下のためか
大きくくぼんでいました。

町のほぼ中心部でしょうか。以前は町の象徴でもあった
防災対策庁舎は鉄骨むき出しのまま残っていました。

そのすぐ近くに過去の津波の高さを示す標識が。

今回の津波では17メートルもの高さだったそうです。。。
高台にある志津川小学校から町全体を見渡してみました。
言葉になりません。町が本当に無くなっていました。

今回訪問してみてわかったのは、下記になります。
・地震による被害も大きいが、津波による被害は本当に甚大で計り知れない。
・大規模な避難所では現地でのボランティアの受付などを行っている。
・自衛隊のかたがたが非常に頑張っていてインフラを整備したり、物資を運んだり、ガレキの撤去など大活躍している。
・海外からの支援物資や医療などの支援も多い。
・現地での支援物資(特に食べ物)はそれなりにあるけれど、インスタントラーメンなどの非常食で栄養的には偏っていそう。
・ガレキ撤去作業など個人宅の片付けなど行う際には、平等に行う必要があり、勝手にやろうとすると、 待ってくれ、とストップが入る。そこがボランティアを行う際にネックになっている。
・赤十字のような大きな団体の支援はまだ現地には入っていない(ように見えた)。
・ガソリンは一関などの市街地であれば並ばずに給油可能。またスーパーも普通に営業している。飲食店はメニュー限定となっているものの営業中。
そして感じたのは、大きく下記2点です。
・被災地では既に物資そのものより、どうやって的確にニーズのあるところに支援物資を届けるか、という情報とロジスティックスの問題になっている。そのため、被災地への支援に関しては、支援物資の送付よりは、当面はより現地のニーズに細かく対応した機動力のある団体に義捐金を送ったほうがよさそう。
・現地でのボランティアについては、大規模な避難所にはボランティア受付窓口もあるため、現地にいけばそれなりにやることはありそうですが、一日か二日だけといった短期では実質的に手伝えることに限界があり、ある程度長期間行かないと本当に現地のためにはならなさそう。
今回、初めて被災地を訪問してみてテレビやインターネット
では判らない生の現場を体験したことで、よりリアリティを
もってこの震災をとらえることができたように思います。
まだまだ余震も続いていますし、復興はまさにこれからです。
東京にいて出来ることは少ないかもしれませんが、
日本経済を回していくことがひいては、被災地復興支援にも
繋がるはず。
自分個人で出来ること、会社で出来ることを引き続き
行っていきたいと思います。
JustGivingさん経由でCivicForceさんへの義捐金を
させて頂いたというご縁があって、現地へ支援物資を
運んだり、実際にどのような支援が必要かを見に行かないかと
誘われて、日曜日に往復14時間かけて東北道経由で、
今回の東日本大震災で甚大な被害を受けた南三陸町へ
行って来ました。
東北道は、那須高原を越えた辺りから応急処置はして
あるものの、普段の高速道路では考えられないくらいの
ところどころに起伏があって、かなり揺れました。
その後、一関ICから下道で南三陸町へ向かいました。
途中で既に現地で支援活動をしているCivicForceの方と
合流して、現地での被災者の方への配慮の仕方などの
レクチャを受けた後に、向かったのですが、まず
驚いたのは、山を越えるとすぐに津波の被災地でした。
そこからはまだ海が見えないのに。。。
今回の津波の高さ17mといわれていますが、その威力は
海岸線からはるか離れていても平地部分を流し去った
いったとのこと。
根元から折れた電柱は山側に向かってぽっきりと
折れていました。
その後、まずは現地の荒砥という小さな漁村の
避難所でのボランティア活動を行いました。
ただ正直、現地で僕らが実際にやれることは限られていて
(というのも、漁に使う網などの道具も散乱しているが、
個人の所有物でもあるため、そこの整理がつかないと
片付けも出来ない状況だったため)、僕らとしては
集会所の崖の植木やガレキの撤去作業をしただけでした。
何も出来ない自分たちに歯がゆく感じました。
ただそこでの作業が終わったあとに、現地の被災者の方達に
わざわざ東京から来て作業してくれてありがとうと
言われ、逆に元気をもらったような気がして
言いようのない気持ちに。
その後、CivicForceが既に現地の被災した保育園の
跡地に設置している簡易風呂を見学に行きました。
まだ保育園の内部は片付けもされていない状態。


それでもそこの園庭にCivicForceさんによる簡易風呂が
設置されていて、近くのドラム缶(?)みたいなところで
お湯を沸かしてお風呂に入れるようになっていました。
こういう支援はなかなか赤十字のような団体だと機動的に
出来ないように感じました。


その後、ベイサイドアリーナに設置された避難所に行きました。
ここはかなり大規模な避難所で、自衛隊の方も数多く、
イスラエルの医療チームやら国際色豊かな避難所になっていました。
ここでは、体育館に収容された物資を更に地域の避難所に
配送するためにトラックに積み込むお手伝いをさせて
頂きました。

ここでは日本の各地から送られてきたもの以外にも
インドネシアからのもの、台湾からのもの、タイからの
もの、本当に世界各国から物資が送られていました。
今回の南三陸町へはミュージシャンの布袋さんも一緒に参加していた
のですが、我々と同じようにボランティア活動をしていたのが
印象的でした。
作業の後はみんなにサインをせがまれて100名以上の方全員に
サインをされたのですが、サインをすることで本当みんなが
笑顔になるのを見て、存在だけで人を笑顔にさせるというのは
本当にすごいパワーだなと。モノだけではなくこういう想いも
今後支援活動としてより重要になっていくように思います。

その後、市街地跡を抜けて海岸の元市場があったところへ
向かったのですが、先ほども書きましたが、
海が見えない場所へも津波の被害はあり、驚くほど
内陸部まで被害を及ぼしています。
どれほど津波の威力が強かったのかがこれを見れば
イメージできるかと思います。
コンクリートで固められた海岸も地盤沈下のためか
大きくくぼんでいました。

町のほぼ中心部でしょうか。以前は町の象徴でもあった
防災対策庁舎は鉄骨むき出しのまま残っていました。

そのすぐ近くに過去の津波の高さを示す標識が。

今回の津波では17メートルもの高さだったそうです。。。
高台にある志津川小学校から町全体を見渡してみました。
言葉になりません。町が本当に無くなっていました。

今回訪問してみてわかったのは、下記になります。
・地震による被害も大きいが、津波による被害は本当に甚大で計り知れない。
・大規模な避難所では現地でのボランティアの受付などを行っている。
・自衛隊のかたがたが非常に頑張っていてインフラを整備したり、物資を運んだり、ガレキの撤去など大活躍している。
・海外からの支援物資や医療などの支援も多い。
・現地での支援物資(特に食べ物)はそれなりにあるけれど、インスタントラーメンなどの非常食で栄養的には偏っていそう。
・ガレキ撤去作業など個人宅の片付けなど行う際には、平等に行う必要があり、勝手にやろうとすると、 待ってくれ、とストップが入る。そこがボランティアを行う際にネックになっている。
・赤十字のような大きな団体の支援はまだ現地には入っていない(ように見えた)。
・ガソリンは一関などの市街地であれば並ばずに給油可能。またスーパーも普通に営業している。飲食店はメニュー限定となっているものの営業中。
そして感じたのは、大きく下記2点です。
・被災地では既に物資そのものより、どうやって的確にニーズのあるところに支援物資を届けるか、という情報とロジスティックスの問題になっている。そのため、被災地への支援に関しては、支援物資の送付よりは、当面はより現地のニーズに細かく対応した機動力のある団体に義捐金を送ったほうがよさそう。
・現地でのボランティアについては、大規模な避難所にはボランティア受付窓口もあるため、現地にいけばそれなりにやることはありそうですが、一日か二日だけといった短期では実質的に手伝えることに限界があり、ある程度長期間行かないと本当に現地のためにはならなさそう。
今回、初めて被災地を訪問してみてテレビやインターネット
では判らない生の現場を体験したことで、よりリアリティを
もってこの震災をとらえることができたように思います。
まだまだ余震も続いていますし、復興はまさにこれからです。
東京にいて出来ることは少ないかもしれませんが、
日本経済を回していくことがひいては、被災地復興支援にも
繋がるはず。
自分個人で出来ること、会社で出来ることを引き続き
行っていきたいと思います。