ベンチャー通信の明石さんからなぜかベンチャー通信が送られてきた。

 

いろいろな業界で頑張っている人たちが、それぞれ自分の小さい頃の起業のきっかけなどから現在の事業内容についてインタビューされていた。こういう初心って企業家にとってとても重要なものだと思う。

 

というわけで、自分自身についてもちょっと振り返って考えてみた。

 

僕の家族は、両親に兄、そして妹。愛知県三好町というトヨタの城下町のようなところで育った。父親は自動車の部品の金型の設計を自営業として自宅で行っていた。自営業というと聞こえはいいが、実際はトヨタの孫受けの孫受けくらい。仕事は自宅でしており、休みの日も毎日仕事をしている父の姿を良く覚えている。幼心にそれが当たり前だと思っていた。

 

そんな僕が最初に起業しようという憧れを持ったのは、小学6年生の頃だと思う。花登筺の「どてらい奴」を読んで、丁稚から番頭になってという商人に憧れを持つようになった。この他にも柴田錬三郎の「図々しい奴」や、山本有三の「路傍の石」とかが僕の起業の原点と言えると思う。

 

次に起業というよりも、もうちょっと生々しいけれど(笑)、金持ちになってやる!と思ったのは中学時代。小学校時代までは我が家については中流家庭で特に不満は無かったのだけれど、わざわざ受験して入った私立中学時代の友人達は、実家がお医者さんや地元の有力企業の経営者の息子が多く、そういった人たちと較べると自分が田舎者で、彼らの金銭感覚とあまりに違うことにギャップとコンプレックスを感じることが多かった。特に彼らの実家に遊びに行ったときにはそういうことを強く感じた。そんな経験から、将来金持ちになってやると思い、そのためには、自分自身で道を切り拓く、起業が一番向いていると思うようになった。コンプレックスは人を動かす原動力になるというけれど、そういうのってやっぱりあるんだなぁと思う。


でも、本当の意味で起業しようと腹をくくったのは、大学に入ってすぐに学生結婚をした時。もう普通の人生は送れない、ならば起業するしかないだろうと。今思えば、思い込みしまりくりなんだけど(笑)。このときから、起業家として生きていこうと決意して、今に至っている。

 

もちろん、その後、更にその意思を高める出会いも多くあった。

 

例えば学生時代に会った、孫泰三君(孫正義の弟)。たぶん彼は覚えてないだろうけれど、彼がヤフージャパンの立ち上げの手伝いをインディゴでやっているとき渋谷のボエムで会っているんだよねぇ。学生企業家としてバリバリ仕事している彼を見てすごく羨ましく思ったのを覚えている。

 

社会人になってからは、我究館のインターネット版の立ち上げや運営を手伝ったりしたときに会った、杉本太郎さんとの出会いもその一つ。ヤリタイことをとことんやり抜くことの重要さを教えてくれた。

 

そんな起業したいという想いが溶岩のようにドロドロたまって、たまって、ドッカーンと爆発するように起業したのが1999年。

 

うーん、懐かしいなぁ。。。

 

と思いながら、ベンチャー通信の表表紙裏を見ていたら、なんと僕の名前が!

赤龍会という満30才以上の創業経営者の会員組織の一員に名前が連ねてありました。うーん、そういえば申し込んだ気がする。。。