通勤用に扇子を買いました。外は40℃。

クラッシックな対策ですが、フル活用中です。

 

扇子・・・扇子・・・よみがえる思ひ出・・・

 

 

  我が家の受験生が生後五ヶ月の頃

 

 

生後半年経過していないので保育園には当然入れなかったのですが、復職せざるを得なくなり、院内保育園に預けて働くことになりました。

 

かくして0歳児をつれた往復2時間(ターミナル駅乗り換え1回あり)の地獄の抱っこひも通勤が開始となりました。

 

混んでいると座れないので、ラッシュアワーより少し早めの時間に始発駅まで夫に送ってもらい、女性専用車両の隅っこに乗車。朝ですから車内で寝ている人もいるので、とにかく電車の中で泣かないでくれ~、寝ててくれ~とそれしか考えてなかったです。

 

しかしそんな母の願いもむなしく、赤ちゃんは泣くのですよ。そうすると母は電車降りようかとか、席を立ってあやそうかとかグルグル考えて焦るわけです。ラッシュアワーにさしかかる時間帯ですから、1度電車を降りると乗るのも大変なので、とにかく気を遣ってひやひやしていました。

 

往路は駅まで夫が送ってくれましたが、復路は雨の日も風の日も灼熱の日も雪の日も台風の日も自力で帰らねばならず、重くて重くて家に着く頃にはヘトヘトで、ソファーに座って10分くらい動けませんでした。

 

 

  地獄の抱っこひも通勤開始後数ヶ月たった頃

 

 

わたしの定位置の3人掛け隅っこ席にいつも同じメンバー(いつメン)が座ったりつり革に捕まったりするようになりました。そして我が0歳児がぐずぐず泣き出と、お隣に座った女性が赤ちゃんを扇子で扇いでくれるようになったのです。不思議なもので、風が来ると赤ちゃんは少し泣き止むんですね。別に何か話しかけられる訳ではなく、さらっとあやしてくれました(今から思うと、その段階で扇子くらい自分で買いなよって話ですね)。

 

いつメンには2-3歳の保育園児をつれた母もいました。その母は立ったまま日経新聞を読んだり、子どもの相手をしたりしていて、子どもの方はときにラップに包まれた直径3cmくらいの小さなおむすびを食べたりしていました。

 

そのほかのいつメンは、子連れではなかったですが、あえて泣く子のそばにやってくる女性たちということで、子どもに親和性のある方たちだったのかもしれないです。

 

我が子が保育園に入れないまま、徐々に増加する子の体重を両肩にうけつつ地獄の抱っこひも通勤を1年弱続けました。この間は、増えた体重分いかに通勤バッグを軽量化するか限界に挑戦!保育園の荷物もありましたので。

 

その後、子どもは無事地元保育園に入園できたので、いつメンともなんとなくお別れになりました。いや別に言葉を交わしたこともなかったのだけれども。

 

いつメンたちは、それそれの場所から同じ電車に乗り合わせてまたそれぞれの目的地に向かうのですが、車内では、「君もたいへんだね」「今日もおたがい頑張ろか」って心中声を掛け合っていたような、ある種の団結があった気がします。

 

今、ブログを読んだり書いたりしていて思うのは、あのとき電車の中で出会ったいつメンに、勝手に連帯感を(わたしが)持っていたように、今年の中学受験生に連帯感を持っていると言うことです。

 

みんなそれぞれの立ち位置で、別々の塾で、各自の志望校合格にむけて希望を持ったり心配したりして毎日すごしてる。

 

直接話したりはしていないけれど、大変なのはわたしだけじゃないって思えたり、励まされたり、共感したり、お互いに無言のエールを送り合っている気がしています。

 

そして引き続き、「必死のお母さんユニオン」の一人として頑張ろう、と思えるのです。