カン あんたら ちょっと見んうちに見違えるようになって
愛桜 お母さん それもこれも ミミ姉さんのおかげなんですよ
美柳 でも うさ子師匠 がいなければ
源三 そうやな それもこれも 師匠のおかげやで なあ カン
カン ホンマやで 有難い事やわ 神様に感謝せんとあかんで
はな おばはん はとっくに仏様になったんやで 仏様に
れおん でも最近は素戔嗚尊じゃ と言っていますけど
ごま 日本は無神論者が多いでしょ どうでもええんと違います
源三 どうでもええのは この物語でしょ
うさ子 オッサン 一番えらいとこ 突かれたのう
オッサン こんなんで 妥協しとったら このブログ書けんわい
ミミ 愛桜さん 美柳さん まずは 祇園さんにお参りに行きまひょか
愛桜 ミミお姉さん お願いします
美柳 でも 本当に夢じゃないんでしょうね
うさ子 現実じゃ 現実 心配せんでもええわい
カン わての娘が舞妓でっか まだ信じられまへんで
源三 島の連中も ビックリしてるやろな
ごま でも 今回の因果関係は 凄いですよ
うさ 師匠が 出雲で わしゃ素戔嗚尊じゃと 言い張りましたやろ
はな あれは 物語上の成り行きもあったんやけどな
源三 でも 京都 八坂神社の主祭神 素戔嗚尊でっしょ
はな オッサンも適当に書いたんが 当たっただけやろ
オッサン 適当なのは このブログの存在自体であるわ ほっとけ アホ
ミミ ほな 本殿にお参りに行きまひょか
うさ子 どうじゃ わしの凛々しい姿は
ミミ どう見ても ふてぶてしいだけでしょ
愛桜 ここでは 素戔嗚尊 が主祭神として祀られているのでしょ
美柳 最近は 自然災害が多発しているでしょ
今こそ 祇園信仰 を知って頂く良い機会ですね
ミミ そうね 私達は 祇園さんに お世話になっているでしょ
祇園信仰の何たるかを お伝えしなければね
愛桜 でも 神仏を崇めない人達からすれば
迷信としか捉えないのも現実ですしね
うさ子 そんな連中に構う必要など無いわい
いずれわしが 大天誅 下したるわ
ミミ あんた アホちゃいます 腹下すしか脳が無いくせして
はな うわっ ミミが 神 スサノオをアホ呼ばわりしてるやんか
ミミ はなえもん こいつただの飲んだくれでしょ
あんまり 煽てたらあきま屁ん
ごま 高天原での狼藉 後にも先にもマネするもん いないのでしょ
はな 誰も あんな うんこ事件など喜んでマネするもんおるかいな
れおん うんこ といえば国を挙げて 文化遺産にしたい国もあるんでしょ
源三 熊本の細川公もそうでしょ
うさ 屁の国熊本 プップカプー でっかいな
あんな臭いのん もうこりごりでっせ
ミミ じゃあ 次は「美の神様」にお参りに行きましょうか
うさ ひょっとして 例の ズル剝け神社 でっか
美柳 うささん 美御前社 と違いますの
はな 世間では そうらしいけど この物語は尋常とちゃうしな
ミミ そこの 老いぼれウサギ
うさ子 何じゃ わしのことけ
ミミ よろしいな アホな事したらあきまへんで
愛桜 お姉はん 何かやらかしましたんですか
ミミ 前に来た時 美容水に硫酸 入れて流したんですよ
美柳 えーー そんなん 顔につけたら
うさ子 お肌ピリピリ ズル剥け ブッサイクの刑じゃ
うさ どっちにしても 綺麗なんは祈願などしまへんで
はな ほな あれか 祈願に来る 舞妓 芸妓はブッサイクなんか
れおん ミミさんをみれば 理解出来ますけど
ミミ れおん 何ですって
れおん 元々 ブッサイクなんが何しても一緒や いう事や 現実や現実
はな 言う事はまっとうやねんけど 言う相手が悪かったで
源三 れおんさんは いつも一言多いんですから
ここでは
主祭神は天照大御神と素戔嗚尊の誓約で生れた
美しさで誉れ高い 宗像三女神がお祀りされています
多岐理毘売命 (たぎりびめのみこと)
多岐津比売命 (たぎつひめのみこと)
市杵島比売命 (いちきしまひめのみこと)
この中でも絶世の美女であったと誉れ高いのは 市杵島比売命 様です
愛桜 美の神様 この美貌がいつまでも続きますように
美柳 よろしくお願いいたします
うさ 親が親でっせ しれていまんがな
ごま お姉ちゃん 余計な事言うたらあきませんよ
うさ エラの張った 韓 の娘じゃ いずれ整形せなあかんわい
カン わての張ってるんは 欲の皮で エラとちゃいまっせ
ミミ らしいですよ うささん
カン 女は年期がいけば じぇに IS なんばーわん でっせ
少々の事では動じまへん
はな つう事はあれか 自分の娘を売ったんかいな
ミミ はなえもん 戦時売春婦とちゃいまっせ
訳の解らん事言うたらあきまへんで
八坂さんにお参りも済ませ いつものお店へと
朝吉 うさ子 何の用じゃ
うさ子 用など無い
清二 はぁ 姉さん そんな殺生な
うさ子 嫌なら帰れ もう二度と呼ばんわい
うさ 師匠 悪名相手なら無茶苦茶 云うていまっせ
はな いつもの事やけどな
ミミ 朝吉さん お久し振りで
朝吉 こら ミミちゃんやないけ 祇園祭に招待してくれたんか
ミミ もっと ええもんのご招待でっせ この娘 ご存知でっしゃろ
朝吉 知るも知らんも無いで 鈴鹿でも一緒やったんけ
ミミ 「仕込み」「見習いさん」を始めとして うちがこの先 面倒をみて
立派な 舞妓 芸妓 にしますよって よろしゅうに
朝吉 ミミちゃんが面倒みるてか こら楽しみやで
よっしゃ 全国の親分衆にも わしから言うといたる 任せとき
うさ子 朝やん すまんのう あんじょう頼むで
朝吉 何 言うとるんじゃ
ミミちゃんの妹やろ 当然や 河内男の心意気じゃい
はな 朝やん ここで 河内男の意気込みなんかよう解らんえ
朝吉 國は廣嶋やったのう
早速 シルクハットに廣嶋後援会なと作らせたるわ
おかん 別府温泉も全面的に応援しまっせ
うさ 何じゃ 死にぞこない まだ生きてたんか
おかん こりゃ アホうさ お前こそ世間様に迷惑かけてへんやろな
うさ お前こそ ポクっと逝くんは勝手じゃが
閻魔のオッサン難儀させんなよ
おかん 閻魔のオッサンなど わしの足元にも及ばんわ
源三 いつ 聞いてもえらい挨拶ですね
ごま 昔からですから いつもの事でもう慣れていますよ
うさ子 どうじゃ 素戔嗚尊の 神力は ほな 朝やん 祝いの宴じゃのう
うさ そうでんな 神 祇園祭といえば 祇園信仰 素戔嗚尊でっせ
ごま 適当に かこ付けて 飲みたいだけでしょ
で 主役の
美柳 心臓がバクバクいって もう破裂寸前ですよ
愛桜 一生一度ですから仕方ありませんよ
ミミ 一緒にいますから 心配しなくても大丈夫ですよ
お母はん ミミ そろそろ時間どすえ
ほな いきますえ ほいほい
しかし 集まっているメンバー が メンバー
そう簡単に 事が進むとは 思えんが
うさ ほにゃ ひひょう まじゅは いっきょん
うさ子 ふぉう ふぉう しゅみゃんのう うひゃよ
れおん あの悪魔の師弟 かなり出来上がっていますよ
はな おばはん は酒より ボケが廻っているんとちゃうんかい
清二 目出度い席には まずは花束贈呈でっしゃろ
菊ちゃん 清やん えらい気ィ付くがな
ごま で プレゼンターは誰がしますのん
おかん わしがしたろか
うさ アホか死にかけ 出棺前に 皆で菊の花入れるんとちゃうぞ
屁太郎 プレゼンターは僕達兄弟がしますよ
屁次郎 出雲路の旅 からの仲です
うさ子 久し振りの 屁こき兄弟かい
うさ モンモンまで入れて えらいいかつなっていまっせ
清二 姉さん この兄弟 松島一家で面倒見させてもらいまっせ
立派な ヤー公 もとい テキ屋にしてみせまんがな
ごま なんと 片や 舞妓 片や テキ屋ですか
清二 祭りにテキ屋はつきもんでっせ
ミミ 大体の予想はついていましたけどね まさか現実になるとは
れおん まる屁生花 というのが気になりますけど
源三 別に花が屁ぇ なんかこかんでしょ
れおん 屁ぇ より臭い花もあるし でも 何か嫌な予感がするんですよ
ごま まさか 食獣植物 じゃないでしょ
花束贈呈も無事終了 のはずでっけど
ミミ 綺麗な花ですね
愛桜 いったぁーい 何よこれ
ごま バラのトゲじゃ なさそうだし
毎度 熊蜂でおま
スズメ もいてまっせ
れおん あー 蜂の巣 仕込んでいますよ
ごま しかし 何なとやってきますね
源三 まだ 自爆しないだけ良しとしないと
ミミ 源三 あんたアホちゃいます
花束爆弾の餌食になるのん 誰ですんや
カン 自分の娘が 吹き飛ばされるんでっせ
とんだ珍客も紛れ込んだ 花束騒動
何とか かんとか披露も終わり 翌日からは
うさ子 ほな 京都をあとに 旅を続けなあかんわい 難儀な話じゃ
うさ 苦しい時の京都頼み どうせすぐに戻ってきまっせ
京都としては 余り訪問はして欲しくはないのですが
御一行様は 祇園四条 から 京阪電車で 大阪へと向かいます
♬ ♬ ♬ 京阪電車に飛び乗って
♬ ♬ ♬ 着いたところは 天満橋
祇園祭の翌週 7月24日 25日 は 日本三大祭の一つである
天神祭り が天満宮で執り行われます
大阪は 天神祭り の前後に梅雨が明け 本格的な夏になるのです
25日は 大川で 船渡御 奉納花火 も打ち上げられます
天満宮は 学問の神様 菅原道真公がお祀りされています
物語では この後 近鉄沿線にて 菅原道真公 について紹介します
新大阪で おかん と別れ JRで再び 京都へ舞い戻り
近鉄京都駅で放置プレー状態であった VISTA CARに乗り込み
うさ子 ほな 近鉄特急の旅 を続けよか
♬ ♬ ♬ 東寺の塔を右に見て
♬ ♬ ♬ 止まれば 七條ステーション
鉄道唱歌では 東寺の塔を左にみて 京都へと到着します
東 寺 教王護国寺 (きょうおうごこくじ)
所在地 京都府京都市南区九条町1
山号 八幡山
宗旨 東寺真言宗
寺格 総本山
本尊 薬師如来(重要文化財)
創建年 延暦15年(796年)
開基 桓武天皇
正式名 金光明四天王教王護国寺秘密伝法院
宗教法人公称:教王護国寺
正式名別称:弥勒八幡山総持普賢院
別称 左大寺
札所等 真言宗十八本山第9番
西国愛染十七霊場第8番
洛陽三十三所観音霊場第23番
京都十三仏霊場第12番
都七福神(毘沙門天)
神仏霊場巡拝の道 第84番
京都十二薬師霊場第2番
文化財 金堂、五重塔、御影堂、蓮花門
絹本著色真言七祖像、不動明王坐像ほか(国宝)
世界遺産
平成6年 (1994) 世界遺産として登録された東寺は唯一残る平安京の遺構です
鉄道唱歌 第1集 東海道編 47番
ここは桓武のみかどより
千有余年の都の地
と謳われている 平安京
東寺は平安遷都とともに 平安京鎮護のための官寺として建立されました
開基は桓武天皇です そのあとに即位された嵯峨天皇が空海(弘法大師)に下賜され
真言密教の根本道場として栄えました
空海(弘法大師)は高野山 金剛峯寺 の開基としても御存知だと思います
鉄道唱歌 第5集 関西・参宮・南海編 の44番 と 45番 で
44 弘法大師この山を
ひらきしよりは千余年
蜩 ひびく骨堂の (蜩 ひぐらし)
あたりは夏も風さむし
45 木隠おぐらぎ不動坂
夕露しげき女人堂
みれば心もおのずから
塵の浮世を離れけり
と 高野山 金剛峯寺 を紹介しています
「弘法さん」
毎月21日 弘法大師の命日に開催される縁日を 「弘法さん」 と呼びます
骨董品や雑貨 自家製のお菓子等が売られているのです が
ちんちろりん ちんちろりん ちんちろりん の ほいさっさ
親の因果が子に報い 阿鼻叫喚の 見世物小屋でっせ
地獄の沙汰も じぇに次第 モノホンの閻魔大王が お出迎え
うさ 師匠 あそこで呼び込みしとるん 屁こき兄弟 とちゃいまっか
うさ子 ホンマじゃ 生駒の化け物軍団 もおるがな
愛桜 あらっ 屁太郎君 に 屁二郎君
屁太郎 おおー これは祇園の綺麗どころの皆さん 陣中見舞い でっかいな
美柳 あらま 屁太郎君 おじょうずですね
屁次郎 絶世の美女 市杵島姫命の生まれ変わり ミミ姉さんやおまへんか
ミミ あらっ 屁次郎君 お上手ね でも 事実は事実だし
うさ あいつ等 いつまで 舞妓と芸妓 やってまんねん
はな 舞妓さん と 芸妓の写真 撮るんやったら肖像権料3000円やで
ごま はなさんまで えらい商売していますし
うさ ところで れおん と源三の姿が見えまへんで
うさ子 ばけもん屋敷 に決まっとるわい
清二 姉さん これから夏祭り 忙なりまっしゃろ
わてに任せておくんなはれ
うさ子 清二よ おまんに任せても どうにもならんわい 頼りない話じゃ
菊ちゃん 清やん らしいわ
朝吉 清二おまんも うさ子にかかったら ボロンチョン公じゃのう
清二 親分 堪忍しとくんなはれ 特亜とちゃいまんがな
はな 朝やん 清やんは 特屁やがな
菊ちゃん はなちゃん 特屁て何や
はな 特定屁細亜 やで
清二 もう堪忍しとくんなはれ そんな臭いのんは
うさ子 朝やん もう逝くわ また どこぞで逢うやろ
菊ちゃん ♬ ♬ ♬ 東寺の塔をあとにして 再び乗り込む 近鉄電車
あっ えんやこらせぇ どっこいせ
うさ 何で 河内音頭でんねん
うさ子 嫌な予感がするわい
この先 VISTA CAR は近鉄特急の旅 ではなく
格下げ準急の旅 になったりして
源三 それって 見所満載 の沿線だってことでしょ
で 続いて停車したのは 十条
れおん こんなん 準急どころか 各停ですよ
次に訪れるのは 伏見稲荷
近鉄よりも JR奈良線 稲荷 京阪本線 伏見稲荷 が最寄り駅です
伏 見 稲 荷 大 社
所在地 京都府京都市伏見区深草藪之内町68
主祭神 稲荷大神
宇迦之御魂大神 (うかのみたまのかみ)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)
大宮能売大神 (おおみやのめのおおかみ)
田中大神 (たなかのおおかみ)
四大神 (しのおおかみ)
神体 稲荷山(神体山)
社格等 式内社(名神大)
二十二社(上七社)
旧官幣大社
創建 和銅年間(708年-715年)
本殿の様式 流造
札所等 神仏霊場巡拝の道123番(京都43番)
例祭 5月3日
豊穣 繁栄の神様 「お稲荷さん」 の名称で知られる 総本宮です
ここは稲荷山が御神体です これは この先訪れます 大神神社 もそうです
♬ ♬ ♬ 再び乗り込む JR
♬ ♬ ♬ 着いた駅は 桃山駅
あっ えんやこらせえ どっこいせ
うさ 何でJRでんねん
はな お稲荷さんからやったら JRの方が近いしな
オッサン いいや 103系に乗せたるわい
(平成29年7月時点で JR奈良線ではまだ103系が主力車輛なのです)
うさ子 アホか 大和路線でも まだ走っとるやんけ
(関東では とっくの昔に引退した201系も 大和路線では 最新通勤車両です)
桃山からは 桓武天皇陵 明治天皇伏見桃山陵 桃山城 を訪れます
伏見城は3度にわたって築城されまれした
1592年(文禄元年)に指月山に築かれたものを指月山伏見城
慶長伏見地震によって倒壊した後
1597年(慶長2年) 木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別されま す
木幡山伏見城は豊臣期のものと
伏見城の戦いで焼失した跡に1602年(慶長7年)
徳川家康によって再建された徳川期とにわけられます 1619年(元和5年)に廃城 されました
伏見桃山キャッスルランド
1964年に開園しましたが 少子化やレジャーの多様性の影響で2003年1月31日 で閉園しました
伏見桃山陵は 1912年(明治45年)7月30日 東京の宮城・明治宮殿で崩御した
明治天皇の御陵です 敷地は豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地です
霊柩列車
明治45年(大正元年)9月13日に東京・青山の帝國陸軍練兵場
(現在の神宮外苑)にて
大喪儀が執り行なわれた後翌9月14日に埋葬されました
明治天皇陛下の棺は 大正元年9月13日 中央本線から分岐した青山仮駅から
御陵の最寄り駅である 奈良線桃山駅まで 霊柩列車が運行され運びました
東海道本線を下り 京都に到着した 明治天皇霊柩列車
列車は この後 奈良線に入っていきます
当時 霊柩列車を目にする事が出来たのは 沿線の住民に限られていました
その光景を撮影して 絵葉書として作成され 当時の状況を今に伝えています
霊柩車に使用する車輛には 形式 記号 番号は付与されていません
明治天皇の霊柩車は 2代目として当時の 鉄道院新橋工場で製作されました
その後 大正14年(1925) 一等病客車 ホイヘ6070 に改造
昭和3年(1928) ホイヘ16900 に改番
その後 二等病客車 ナロヘ 16900 に格下げされました
最後は久し振りに 鉄道ブログ として閉めます
それじゃあまた逢えたらいいね
うさうさ うさ子