その日の夕刻、銀河帝国軍中将のナイトハルト・ミュラーは一軒の肉屋に立ち寄った。
ミュラーは生まれて間もなく母を亡くし、父方の祖母の元で3歳年上の兄と暮らしていたのだが、10歳の時にその祖母が亡くなり、更に1ヶ月後に父親も戦死してしまった。
いっぺんに身寄りを失った兄弟だったが、母方の祖母が隣の惑星ユグドラシルにおり、士官学校に入学するまで、3歳年上の兄とここで暮らしていた。
母方の祖母は、男であってもある程度の事は一通り出来た方が良いという考えの持ち主であった為、士官学校に入るまでの間に、兄弟は料理や裁縫などを叩きこまれていた。
その為、官舎に一人住まいと言えど、外食よりも自炊をする方が遥かに多い。
他人には明かしていないが、菓子作りを含めて、料理は得意になっていた。
子供の頃は何故、男が家事を?と思ったものだが、今となっては祖母の教育方針に感謝である。
軍服にしてもボタン付けや、多少の綻びなどはさっさと繕えるし、洗濯やアイロンがけも全く苦ではなかった。
因みに祖母は今も健在で、現在はオーディンで兄夫婦と同居している。
官舎の近くや、元帥府の近く・・・とにかく、通勤途中には、何件か行きつけの食料品屋があり、「肉の店 チェプター」は馴染みの店だった。
店主は肉の仕入れや配達が忙しくて店には殆どいなかったが、店の切り盛りは女将さんが一手に担っている。
店で扱うブルストやアイスバイン、ローストチキンも女将さんの手作りだったし、ちょっとした惣菜も女将さんのお手製だ。
女将さんは背は低いが薔薇色の頬のふくよかな肝っ玉母さんで、いつも明るく客に接する。
お客との世間話が大好きで、ちょっとした事でおまけまでしてくれて、ここら辺りでは人気の肉屋である。
それに閉店時間も、他の店よりも1時間半ほど遅く、これもミュラーが贔屓にしている理由であった。
「こんばんは」
「あら、いらっしゃい。今・・・仕事帰り?」
「はい」
「いつも思うけれど、若いのに自炊なんて感心だわね」
「そんな・・・大した事は無いですよ。あ、何かお勧めのはありますか?」
「・・・今日のお勧めは鶏のもも肉。潰したばかりだから鮮度は抜群よ。それから・・・こっちのブルストは作りたてよ」
「じゃぁ・・・それを、そうだな・・・じゃぁもも肉を500g。それと、このブルストを300gね。この間、食べてみたら本当に美味しかったから驚きました。味・・・変わりましたよね?」
「でしょう?肉の配合比率と調味料をちょっと変えて作ってみたんだけど、味が良くなったって、結構・・・好評なのよ」
「本当に美味しかったです。前のも美味しかったけれど、今度のはそれ以上でワインに物凄く合いました」
「まぁ!お世辞が上手いんだから」
「お世辞じゃないですよ。人にも勧めたいぐらい美味しかったですから」
他に客がいなかったせいもあったし、帰宅途中だったので、ミュラーはこの陽気な女将さんと暫し歓談していた。
ここのブルストは茹でても焼いても・・・プリっとした歯ごたえで、黒胡椒とバジルの鼻をくすぐる香りが絶妙で、抜群の満足度・・・最高に美味しかった。
元々美味しかったのに、最近・・・ますます美味になったのだ。
「そうそう・・・こっちのブルストも新しい物なの。こっちはハバネロを使った辛みのあるモノなんだけど試食してみて。一緒に包んでおくから」
「あ・・・スミマセン。じゃぁ、今度感想を言いますね」
肉とブルストを包み終え、会計が済む頃になって、急に女将さんが声を潜めた。
「あ・・・そうだわ。ねえ、あなた帝国軍の将官なんでしょう?」
「はい?」
「いえね、この間・・・閉店間際に来たお客さんも帝国軍の将官だったんだけどね、凄く奇妙な感じの人だったのよ・・・」
そこまで言ってから、女将さんは急に口をつぐんだ。
「奇妙・・・なんて言ったら悪いわね」
「そこまで言いかけてやめるんですか?どう奇妙だったんです?」
「それがねえ・・・初めての客さんだったんだけど・・・」
女将さんにしては歯切れが悪い。
ミュラーは何やら嫌な予感がしたのだが、女将さんの出方を見守っていた。
「それが・・・ちょっと言いにくいのだけど、目から・・・変な光がピカーっと出てね・・・」
「え・・・目から変な光が!?」
ミュラーは声に出してから慌てて口を押さえた。
思い当たる人物が1人だけいる。
怪しい光を放つ瞳を持つのは・・・『ドライアイスの剣』だの、『冷徹なる義眼』だのと揶揄される、パウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将。
宇宙艦隊の総参謀長であり、元帥であるローエングラム公以上に近寄りがたい、はっきり言って煙たい存在だった。
その顔を眺めているだけで着鬱になりそうな・・・関わり合いになりたくない存在。
いつだったか、会議中に急に瞳がチカチカと怪しい輝きを発した事があった。
皆が息を飲む間、皆の視線で事態に気付いたオーベルシュタインは顔色を全く変えずに瞼を抑えた。
「失礼・・・また義眼の調子が悪くなったようだ。精巧だが・・・寿命が短いのが難点で・・・」
そして、元帥閣下に断って席を外したのだった・・・。
あの異様な輝きは、実際に見た者でないと分からないが、実に不気味で・・・ハッキリ言って心臓に悪い。
それを・・・。
この肉屋の女将さんは目の前・・・カウンター越しとは言え、至近距離で見てしまったのだ。
だが、それよりも信じがたいのは・・・あの冷酷そうで人との関わりを持たなそうな男が1人で肉屋に買い物?
肉どころか、一般商店には不似合いな男なので・・・俄かに信じがたい。
本当にオーベルシュタインなのだろうか・・・確かめなくては。
「もうね・・・ジジジ・・・って変な音までしていたものだから、私・・・びっくりしちゃって、思わず声を上げそうになったの」
「他にはどんな特徴とか・・・どんな感じの人でした?」
「えっとね・・・物凄く背が高くて・・・そしてこれまた物凄く痩せているわね。髪は、ちょっと前髪が白っぽいかしら?とにかく顔色が悪くて、ちゃんと食べているのかしら?と思ったわ。暫く目をいじっていたら、その光は消えたのでホッとしたんだけどね」
女将さんが端的に話した容貌は、まさにオーベルシュタインそのものだった。
ミュラーは、その人物が宇宙艦隊の総参謀長であり、オーベルシュタイン上級大将だと伝えた。
そして、先天性の疾患で両目とも生まれた時から義眼だとも伝えたのだった。
女将さんは頷きながら溜め息をついた。
「義眼・・・なるほどね。普通の人は目からあんな光は出ないものね。でも、派手に驚いたら失礼よね・・・だって、先天性のものなら、本人に非はないのだから」
女将さんはそう微笑んだ後で、また顔を引き締めた。
「それにしても・・・あの人、顔色が悪いでしょ?どこか・・・身体でも悪くしているのかと思ったわ」
「確かに・・・健康そうには見えないですよね。ところで・・・何を買いに来たんですか・・・上級大将は?」
「えっとね・・・鶏肉よ。3kgほど買ったかしら?」
「鶏肉を3kgも?結構な量ですね・・・」
「私も、『鶏肉がお好きなんですか?』って聞いたら暫く無言だったのだけど、『これは・・・飼っている犬用だ』っておっしゃったの。どうやら飼っている犬用の肉を買いに来たのね」
「え・・・犬!!?へえ、それは意外だな・・・。犬を飼っているのか・・・とても動物好きには見えないけど」
「なんでも・・・最近、職場の真ん前で・・・大きな犬を拾ったんですって。でも、その犬、ダルメシアンの老犬でね、もうかなり歯が弱いらしくて、固い物は噛み切れないから食が細いんですって。それを聞いてね、それならば、軟らかく煮込んだ鶏肉なんかどうかと思ってお勧めしたのよ。もう、2週間ほど前になるかしらね、あのお客さんが来たのは」
「2週間前ですか。でも煮込むのは何故鶏肉なんですか?・・・豚肉とかではなくて」
「あら、鶏肉はヘルシーだからよ。その犬は老犬だって言うじゃない。育ち盛りの犬なら羊肉でも豚肉でもいいのだけれど、人間と一緒よ・・・低カロリー食にしないとね。それに・・・鶏肉ならお値段も安いし。それに時期によってはナマのまま与えたら・・・やっぱり良くないのよ。だから、軟らかくなるまでじっくり煮込んだ鶏肉がお勧めなの。そりゃぁ、煮込む分・・・手間暇はかかるんだけどね」
「良く来ているんですか、上級大将閣下は・・・」
「そうね・・・2週間前に初めて来てから・・・何度か来られているわね。ご贔屓にして下さってるようだわ」
「へえ・・・」
「その犬ね、年を取っているから、歯も半分は抜けちゃっているんですって。最初にいらした日に、どういうふうに料理をするのかと聞かれたから、鶏肉を圧力鍋で短時間で煮込む方法をお教えしたの。それなら時間が短縮出来てラクですもの。それに犬は人間と違って塩分は控えないといけないから、殆ど味は付けしない事もお教えしたわ。それでね、次にいらした時に犬の様子を伺ったらね、ホロホロと崩れるほど柔らかくなった物を与えたら、犬が喜んで全部食べて、尻尾を振ってじゃれ付いてきたんですって」
「え・・・じゃれ付いて・・・??」
犬と戯れるオーベルシュタイン。
その姿が想像がつかないだけに何とも言えない・・・顔が引きつってしまいそうだった。
犬を撫でたり、洗ってやったり、笑いかけたりするのだろうか・・・うーん・・・・・・。
あのオーベルシュタインに尻尾を振ってじゃれ付く犬・・・うーん・・・ツワモノだな、その犬。
一度、その犬に会ってみたい・・・そんな心境に駆られてしまう。
「じゃぁ・・・女将さんのアドバイスなんですよね、鶏肉を煮込むの」
「そうよ。老犬に固形のフードなんてダメよ。だって粒が小さいし、固いから歯にだって悪いわ。年を取ったら犬も人間と一緒で、歯が抜けてしまうから、軟らかくて胃に負担のかからない物を与えないと、生きるものも生きられなくなるわ。野良犬の上に老犬で食べられなかったら、もっと早く死んでいたかもしれないけれど、拾ってもらってその犬も幸せだわね。煮込んだ鶏肉料理を毎日だなんてちょっと贅沢だけど、本当にちょくちょく・・・来られるわね。大抵ね、閉店間際に来て買って帰られるの。まぁ、表情は変わらないし、必要な事以外の余計なおしゃべりは一切しないけど」
ミュラーはこの話を聞いて、あの、冷徹な義眼のオーベルシュタイン上級大将が犬を拾った事、そして、自ら肉屋に鶏肉を買いに出向いている事を意外に思った。
あのオーベルシュタインの事だから余計な事を喋らないだろうが、女将さんのアドバイスに従って、鶏肉を煮込んだ料理を犬に出しているとは・・・。
しかも拾ったのが職場の前と言う事は・・・元帥府の入り口近くで拾ったと言う事だろうか?
ただ、その話を聞いてからも、肉屋には何度か立ち寄ったが、タイミングが合わなかったのか、ミュラーはオーベルシュタインを見かける事はなかった。
「参ったな・・・すっかり遅くなってしまった・・・まだやっているかな・・・」
官舎へ戻る途中、「肉の店 チェプター」に急ぐミュラー。
ここ最近、買い物をする時間が無かった。
あの美味しいブルストを切らせてしまって、今日買えるのなら何とか買いたい一心で、少し小走りで店に向かっていた。
お試しで貰った新商品のブルストも絶品だったのだ。
そして、店まであと数十メートルの距離まで来た時・・・。
ついに、あのオーベルシュタインに遭遇してしまったのだ。
後ろ姿しか見えないが・・・あれは・・・。
女将さんの問い掛けに頭が揺れている。
きっと、頷いているのだろう。
やがて包みを受け取ると、規則正しい歩調で反対側の道を曲がった。
あ・・・こちらに向かって来る!!と思ったミュラーは咄嗟に開いていた花屋に入って息を殺した。
「何で隠れなきゃいけないんだ・・・はぁ~・・・」
オーベルシュタインはミュラーに気付かぬまま、花屋の前を通過して・・・左に折れて消えていった。
「はぁ~・・・本当に買っていたとは」
ミュラーはそう独語したが、自分がいる場所が花屋であり、何も買わずに出るのもなんだと思い、店内をさっと見渡す。
花を買う予定はなかったが・・・目に付いた花を買う事にした。
店員に「これ3本と、こっちのを1本ずつ下さい。あとこれも・・・。あ、自宅用だから花束じゃなくていいですから」と頼む。
ミュラーが頼んだのは、真赤なアマリリス3本と、ピンクの金魚草と黄色の金魚草、そして、赤い金魚草を1本ずつだ。
それから、白いかすみ草。
ガラスの花瓶に活けて、玄関先にでも飾れば、殺風景になりがちの官舎の玄関がちょっとは見栄えがするだろう。
そして、簡単に包んでもらった花を手に肉屋に向かったが・・・。
運悪く、既に肉屋は閉店した後であった。
「あ~一足遅かったか。まぁ、いい・・・。この話・・・今度、皆に披露しなくては・・・きっと皆、驚くに違いない・・・」
ミュラーは小さく呟くと、花の包みを持って・・・ゆっくりと官舎を目指した。
Das End
100のお題から「披露」です。
誰に何を披露させる??
最初は、誰かに宴会芸でもさせるか?とか、一瞬、「披露宴」と言う言葉も浮かんだのですが、「披露」であって、「披露宴」ではないので、ヤンの結婚式の事とかは諦めました。
色々と考えたのですが、今回の話・・・ミュラーが「披露」するのは、これから先ですね、はい。
披露した瞬間は原作を読んでもらえばいいので、それに至るまでの話・・・と捉えて頂ければ幸いです。
彼は、同僚のゴシップに遭遇する比率の高いミュラーですから、まさに、美味しいネタを拾った瞬間です。
女将さんから経緯を聞いていますから、ネタ的にはバッチリ。
「家政婦は見た!」ならぬ、「ミュラーは見た!!」です。
原作の3巻・・・。
ここに登場するミュラーが、オーベルシュタインが肉を買うシーンを目撃して、高級士官クラブの「海鷲の巣<ゼー・アドラー>」でそれを披露するのですが・・・。
この時飲んでいたのは、ミッターマイヤー、ロイエンタール、ミュラー、ビッテンフェルトです。
その話を聞いた時、ミッターマイヤーやロイエンタールは、何か言いたげな様子だけど、さすがにミュラーよりもオトナなので言及を避けて沈黙。
良くも悪くもストレートな性格のビッテンフェルトだけが、「ふん、われらが参謀長どのは、人間には嫌われても犬には好かれるわけか。犬どうし気が合うのだろう」と毒づくのです。
ここ・・・ビッテンフェルトらしい言動で凄く好きです。
こういう事を言ってのけるあの性格・・・ビッテンフェルトって帝国軍にキラリと光りますが、多分・・・同盟だと目立たないかも。
だって、上官にでも平気で喋るような、口が悪くて毒舌な人ばっかりだから。
とにかく・・・。
聞いている全員とも、オーベルシュタインが嫌いですが、ビッテンフェルトは本当に嫌い!!って態度を示していますよね。
10巻でも・・・オーベルシュタインに殴りかかって軟禁されるほどに。
これが、ビッテンフェルトが好かれるところなのでは・・・と。
因みにこのシーン・・・OVAでのミュラーは実に見ものです。
後年、最年少の上級大将とは思えないほど落ち着いた物腰になるミュラーですが、この頃は若者特有の気負いなんかも感じられて、「海鷲の巣<ゼー・アドラー>」で披露しているシーンなんか、なんか、コソコソ悪口を言っているような感じで、何とも言えない気分になりました・・・声音とか。
ミュラーを演じた水島さんは、ミュラーを演じた事すら忘れて、ファンが散々、「裕さんが演じたんだから忘れないで下さい」って言ったお陰で、やっとに認識下さった・・・と言う経緯があります。
以前、私がミュラーのセル画(動画の方)にサインを入れて頂いた時、裕さんが「あ、これがミュラーかぁ。結構カッコイイんだね」と発言し、周りにいた、ファンは、本当に知らないのね・・・と、半ば呆れてしまったものですが、まぁ、アフレコ当時、絵が間に合っていなかった&アフレコが抜きだった(裕さん1人だけとか)事とかもあると思うので、忘れていたり、ミュラーの顔が分からなくても仕方がない話なのですが。
そんな訳で、裕さんが、若い時のミュラーと、大怪我をして色々な事を乗り越えた後のミュラー、バーミリオン会戦以降のオトナなミュラーを演じ分けていたとは到底思えないのですが、とにかく、このこっそりと、オーベルシュタインの意外な一面を披露するシーンのミュラーは、ちょっと意地悪そうな声音で、そこがまた良かったです。
このシーンを見てから、(要塞対要塞戦では、まだ好戦的なミュラーですから・・・バ
ーミリオンまで一気に飛ぶ)バーミリオン会戦や、ヤンの葬儀、ウルヴァシー事件などのミュラーを見て行くと、言動からトゲが取れて、実に成長しているんですよね・・・。
何だか・・・こういうさりげない成長が、この作品により深みを与えているように思います。
肉屋の女将さん・・・原作には出て来ませんが、書いてみたかったので・・・書けて本当に良かったです。
しかし・・・目の前でチカチカを見たら、卒倒しそうですよね、知らないと。
それから、アマリリスと金魚草ですが、どちらも春の花です。
まぁ、花屋さんなので、春じゃなくても置いてありそうですが・・・未来ですしね。
そしてね・・・どちらの花言葉も「おしゃべり」だったりします。
今後のミュラーの事を考えると・・・。
この花言葉は、今回の話のテーマにピッタリな気がします。