宇宙暦799年・・・。
自由惑星同盟軍のヤン・ウェンリー提督は、2年前に帝国軍から奪取したイゼルローン要塞を放棄すると宣言した。
この発言はさすがに彼の幕僚達を驚かせたが、要塞に居留する民間人ともども、住み慣れた要塞を離れる事になった。
勿論、ヤンの事。
ただ単に離脱してさようなら・・・をする訳がない。
“絶対に見つけられては困る巧妙に隠された置き土産”と、巧妙に隠しはしたが、“必ず見つけ出してもらわないと困る置き土産”をしっかり用意していた。
それをイゼルローン要塞の中枢部分に植え付けての離脱だったのである。
そして、その脱出に際してキャゼルヌ少将が付けたコードネームは些かセンスはなかったが、『箱舟計画』と称される事となった。
そのさなか、アッテンボロー少将が、帝国軍のレンネンカンプ艦隊をペテンにかける作戦に出た。
彼はヤンの許可を取り付けた上で、無人の輸送船500隻を自爆させる作戦を慣行。
確かに作戦はそれなりの効果は見られたものの、残り少ない貴重な艦艇を無駄に潰してしまった。
これについては、『歩く小言』の参謀長のムライ少将はなどは眉を吊り上げて、かなりのおかんむりである。
そして、こんな馬鹿げた作戦に許可を与えたヤンを平気で睨み付けた。
更に、実際に艦をやり繰りしてアッテンボローに使わせたキャゼルヌ少将にも、「甘い!甘すぎますぞ!」と、ブツブツと文句を言う始末だった。
まぁ、まぁ・・・と、ムライを抑えたヤンだったが、どうやら、この一件で箱舟計画そのものに多少なりとも悪影響が出たらしい。
要塞内の全ての人員を収容する為の病院船や輸送艦が足りなくなってしまったのである。
「うーん。どうするかな・・・」
ヤンはベレーを取って頭を掻く。
「頭を掻いたり、どうするかな・・・とぼやくだけでは話が進みませんが?」
ムライの嫌味にヤンは苦笑するしかない。
「あ、うん。とにかく・・・何とかしないとね」
とにかく不測の事態である。
こうなったら、病院船だの輸送艦だのと言ってもいられない。
「やっぱり・・・軍艦にも乗せるしかない・・・のかな?」
「そうなるでしょうな。物理的に無理です。我々には魔法のポケットなどありませんからな」
ムライにしてはユーモアを言ったつもりなのだろうが、表情が硬いままなので誰もそのユーモアに気付かなかった。
「とりあえず、戦艦は大きいから優先的に割り振って・・・」
ヤンの言葉を受けて、戦艦に優先的に民間人を収容する事になり、急遽、その割り振りが行われる事となった。
実際に、人員の配置や細かいところを取り仕切るのは要塞事務総監のキャゼルヌ少将で、彼はヤンに、「全く・・・あの作戦のせいでしわ寄せが来たぞ。・・・1杯だけでもいいから美味い酒を奢ってくれ」と文句タラタラだ。
でも、さすがはデスクワークの達人。
やるべき事はキチンとやってのけた。
そして、アッテンボローは無謀な作戦の責任を取らされ、キャゼルヌの元で人員割り振りの書類の山と格闘する羽目になった。
「え・・・?今、何と言われたのですか?・・・本気でうちの艦に600人の乳児と赤ん坊を収容せよと?」
キャゼルヌ少将から、収容する民間人の割り振りの書類を受け取った、戦艦ユリシーズの艦長、モーリス・ニルソン中佐の顔は俄かに強ばった。
一瞬聞き違えたかと思ったが、キャゼルヌの次の言葉に肩を落とした。
「心配するな。それ相応の医者と看護婦も付けるからな」
「・・・そういう問題ですか?」
「まぁ・・・そう言うな。他の艦も似たり寄ったりなんだ」
ヤンの元で勤務するようになってから、イゼルローン要塞の攻略であったり、アムリッツァ会戦であったり、ガイエスブルグ要塞との戦闘であったり・・・。
想像を絶する事態ばかり起こっていたので、そういう事に関してはかなり慣れているつもりであったが、それでもまだ驚く事があろうとは・・・。
ニルソンは天を仰ぎたくなった。
彼自身にも妻子はいるし、決して子供嫌いではない。
だが、何で戦艦に赤ん坊を乗せるのか、病院船だって全くないという訳ではないだろうに・・・という思いが強かったのである。
「何か入用な物があったら遠慮なく言ってくれ。出来るだけ協力しよう。無論、今日でなくとも構わない。・・・何か質問はあるか?」
「いえ・・・」
ニルソンは腹立たしさを覚えたが、それだけしか言えなかった。
それを知ったか知らずか、キャゼルヌは苦笑しながら、ニルソンが最も危惧していた事を付け加えた。
「あ~実はな、今回の件は民間人側から要請だったんだ。ほら、例のトイレの1件が有名らしくて、『乗るならユリシーズ』と言われたんだ。そういう訳だから悪く思わないでくれ」
(あぁ・・・また、それかい・・・。どうせそうだろうとは思ったが・・・。それに、民間人から話が出たって?大方、上の連中が、この艦には幸運の女神が付いているとか何とか言ったんじゃぁないのか?全く、こっちの苦労も知らないで・・・)
ニルソンはその話が出る度にいつもムッとする。
だが、クルー以外の前ではこの話の文句を口にした事はないし、元々、ポーカーフェイスなので、幸か不幸か怒っている事をあまり人に悟られた事がない。
ただ最近、自分でもひがみっぽくなったように思うのだが、こればっかりは仕方がない。
さて・・・トイレの1件とは、アムリッツア会戦時における戦艦ユリシ-ズの勇戦振りを物語ったものだ。
簡単に言えば、「トイレを壊された戦艦」として有名なのだ。
尤も、厳密に言うなら、トイレそのものが破壊された訳ではなく、汚水処理システムが被弾しただけであった。
だが、そこから漏れた強烈な臭いの汚水の話が広まっが為に、いつのまにか、「トイレが壊された」と噂され、それが一人歩きをしていたのである。
その場に居合わせたニルソンとしては、皆に笑われるのは面白い訳がなく、むしろ腹立たしいだけだった。
・・・実際に同じような目に合えば絶対に笑えなくなる筈である。
とにかく、被弾箇所が悪ければ、一瞬にして宇宙の塵に化す宇宙空間での戦闘。
ところが、運良く、汚水処理システムの被弾だけで撃沈を免れた訳だから、確かにユリシ-ズは、そういう意味では「幸運の艦」なのであろう・・・。
強烈な刺激臭を放つのタプタプの汚水に漬かりながらの戦闘も、今となれば笑い話にしかならない。
だが、ユリシーズのクルーに限って言えば、これを愉快だと思っている者は、多分、1人もいないだろう。
ニルソン中佐は、キャゼルヌの元から戻ってすぐにインスタントコーヒーを一杯飲み干した。
苛立たしげに紙コップをグシャリと握り潰すと、副長のエダ大尉に皆を集めるように告げた。
そして、紙コップをダストシュートに放り込む。
「艦長、我が艦にもやはり民間人を乗せるんですか?」
エダ大尉の言葉にニルソンは苦虫をつぶす。
「・・・あぁ、決まった。ユリシーズは戦艦だからな。戦艦には優先的に乗せる事になったらしい。・・・それはそうと、聞いて驚け。我々が責任を持ってハイネセンまで送り届けるのは、600人の乳幼児だそうだ」
「は・・・。そうですか・・・って・・・乳幼児ですか!?」
「分からんか?赤ん坊だよ、赤ん坊・・・」
エダ大尉は目を大きく見開き、ニルソンを見つめた。
「それは・・・決定事項なので・・・?」
「・・・あぁ、これがその書類だ。ついでに言うとな、副長。総計で1200人で、中には妊婦もいるらしいぞ。・・・そういう訳で、万全を期す為に、医者と看護婦も乗るんだとさ。うちの軍医だけでは大変だろうとの配慮だそうだ」
「配慮って・・・」
書類を受け取ったエダ中尉はざっと目を通すが、さすがに黙り込む。
ニルソンの苛立ちに同情する。
「困った事になりましたね」
「あぁ・・・本当に困った話だ。総勢で約1200人も乗るというのだからな。そしてそのうちの半分が赤ん坊という訳だ。・・・そういう事に決まったのは、うちには、幸運の女神が付いているからだと言うんだ・・・」
「幸運・・・あぁ、トイレの1件ですね・・・」
エダは肩を落とした。
「・・・そういう事だ、副長」
ニルソンは集まってきたクルーを見回した。
皆、自分達の置かれた状況にがっくりと肩を落としている。
重苦しい空気が辺り一体を支配し、全員、押し黙ったままである。
「女性が乗り込むのはあり難い事ですが、どうも・・・600人の赤ん坊というのが引っかかります。煩そうじゃないですか・・・。確か赤ん坊って、夜中とかでも何時間置きとかにミルクを飲ませたりするんですよね」
重苦しい空気を押し破って発言したのは、通信士官のスティーブ・ブライアン少尉だった。
乳児達が乗り込む前から疲れたようにげっそりしている。
「おい、おい。何も貴官が赤ん坊の世話をすると決まった訳ではないぞ・・・。それとも世話がしたいのか?」
航法士官のフィールズ中尉の言葉にブライアン少尉は身震いする。
「世話なんて!!と・・・とんでもありませんよ、フィールズ中尉。いくら任務でも、そんなのごめんです・・・!」
(ところが、そういうのも任務になりそうなんだよ、少尉・・・)
ニルソンは心の中で叫んでいた。
「女性のもっとも美しく見えるのは出産直後で、そのような女性が三個中隊分も乗り込んでくるのだ」
突然、フィールズ中尉が熱っぽくそう説く。
彼は皆の士気を高めようとしたのだが、あまりにも唐突過ぎたのでクルー達の反応はイマイチ鈍い。
ユリシーズのクルー達は、ここのところひがみっぽくなっていたし、赤ん坊のけたたましい泣き声の大合唱が起こる事は確実だったし、たとえ美しい女性がいてもコブ付きでは喜べない。
「艦橋に数百ダースのおむつがつるされる・・・なんてのはごめんだ。・・・そんなモノは見たくもない」と、ニルソンは呟いた。
洗濯剤の立体テレビ<ソリヴィジョン>のCMのように、青空の下で真っ白なおむつがはためくのならまだ見栄えもしよう。
だが・・・おむつが艦橋に吊るされたのでは、また、皆の物笑いのタネにされるだけである。
「トイレ」の一件もあるし、ユリシーズはまた笑いを買う・・・絶対にそうなるのは間違いない。
意気消沈しながら艦長のニルソン中佐は深い息を吐き出す。
「あと、兵士用の居室にだって限りがあるし・・・会議室や娯楽室を提供するしかないかもしれんな・・・」とニルソンは呟いた。
「え・・・娯楽室を提供するんですか!」
思わず大声を上げてしまったのは、砲術士官のブルース・キャメロン中尉。
イゼルローンからハイネセンまでは、通常航行で凡そ4週間もかかるのだ。
戦艦とはいえ、戦闘ばかりしている訳ではない。
道中、多少の息抜きも必要で、娯楽室は全ての将兵が集える場所だった。
娯楽室の他にもフィットネス・ジム等もあるが、それらを全て女性達と乳児達に提供するというのだ。
「・・・まぁ、こういう状況ではそれも仕方ないですな」
副長のエダ大尉も溜め息混じりに頷き、民間人受け入れの為に、艦内の簡易改装を行う事になった。
会議室は広いからという理由で、必要最低限の椅子やテーブルを残し、子供が寝転んでもいいようにと、冷たい金属の床にふかふかの絨毯を敷き詰める事になった。
乳児だけではなく、2,3歳程度の子供もいるらしいので、滑り台や、ブランコ、木馬等の遊具も幾つか運び込まれた。
ところが、気になる事も出てきた。
いくら絨毯などを敷いても、壁は無骨で、天井も何となく可愛らしさとは縁遠い。
つまり、あまりにも殺風景過ぎるのだ。
「床だけ繕っても、所詮は戦艦だからなぁ・・・」
ニルソンの疲れきったような声。
「あの・・・花紙や、色紙で飾り付けをしたらどうでしょうか?・・・ほら、学校の運動会等で使うヤツですが・・・」
そう言い出したのはフィールズ中尉。
「・・・飾りつけねぇ・・・」
ニルソンは室内を見渡して首を竦めた。
確かに今のままの部屋では中途半端の何物でもない・・・むしろ、安易な改装が裏目に出たとしか思えない。
「・・・という訳で、物資の調達の方をお願いします、艦長」
「はぁ・・・?」
「我々が言うよりも、艦長から直接頼んで頂く方が効果的かと思うのですが。それに、いる物があれば、頼めるという話でしたよね?」
「そりゃそうだが・・・」
「だったら頼んでしまいましょう!!・・・いくら飾り付けをしたって、この状態では粗が目立ち過ぎですよ。どうせやるのであれば、この際、徹底的にやるべきではないかと思います!!」
フィールズは極上の笑みをニルソンに向けたが、どうやら、面倒を全部、押し付ける気らしい・・・。
しかし、彼が言うのも一理あるのだ。
艦長であるニルソンからキャゼルヌに頼んだ方が効率がいいのは当然だった。
「分かった・・・。これでは確かに粗が目立つし・・・。よし、頼んでみよう」
「・・・花紙と色紙だと?」
キャゼルヌは、ニルソンが提出した書類にざっと目を通しながら、信じられないという表情を浮かべて、もう一度聞き返した。
「はい。うちのフィールズが言うには、花紙は、ボタンの花のようなモノを作る為で、色紙も鎖にして、壁に飾るんだそうで・・・。学校の学芸会などでやるのと同じものです。まぁ、小官も飾りつけそのものには賛成してますので」
「・・・おい、本気か?」
「はい、本気です。それに確か・・・必要なものがあったら回して下さるとの事でしたが?」
「あぁ・・・その通りだ。約束は守るが・・・」
さすがのキャゼルヌも呆れ顔だったが、元来、ニルソンは真面目な人物である。
キャゼルヌはニルソンの理由を聞いて納得せざるを得なかった。
その理由は以下の通りである。
「今回、この艦に乗るのは子供達ですから、少しでも楽しい空間を提供したいと思います。第一、4週間も生活する訳ですから、無骨な空間では飽きが来ないともかぎりません・・・。ましてや母親達もおりますし、サービスが悪ければ軍のイメージダウンに繋がろうかと思います。そんな訳で、で少しでも快適に・・・が狙いなんですが」
ニルソンは熱っぽくまくし立てた。
勿論、半分は自棄糞の開き直りだったが。
「・・・なるほどな。貴官の意見、一理あるな。・・・分かった。そういう事なら、こちらも早急に何とかしよう」
キャゼルヌは、持ち前の事務能力を如何なく発揮した。
イゼルーン要塞内にある各学校から、備蓄されていた花紙と色紙を調達し、軍の忘年会や新年会で使用したモール等を保管庫から出させて、翌日には、ユリシーズに続々と運び込ませた。
これらが戦艦等に積み込まれる前で良かった・・・と、ニルソンはホッとしていた。
それを受けて、クルー全員で飾り付けに取り掛かった。
字が上手いブライアン少尉は、ピンクに赤の縁取り文字で「Welcome to Ulysees!」と書かれた大きな垂れ幕作りを担当し、手の空いた者は花紙で作った花を回りに付けて、会議室のスクリーンに吊るしている。
「まるで・・・幼稚園のお遊戯会か、遊園地のノリですよね、これじゃぁ・・・」
ブライアン少尉はオレンジ色の明るい絨毯や、黄緑色の木馬や滑り台、自分達で作った紙鎖を手に肩を竦めた。
「本当にこれじゃ、託児所をやれそうだよな、うちの艦・・・」と、キャメロン中尉。
「・・・気合を入れて垂れ幕を書きましたけどね。でも、またこれをネタに他の人達からからかわれるんですか?嫌ですよ、もう・・・」
ブライアン少尉は泣き出したい気分だった。
「多分、そうなるだろうよ。なんたって、ここはユリシーズだからな」と、キャメロン中尉も溜め息を付いた。
「いい噂を立てられるのは大歓迎ですけど、馬鹿にされるのだけは・・・そうならない事を祈りたいです・・・」
ブライアン少尉は自作の垂れ幕を見上げた。
不平不満は多々あったが、イゼルローンのヤン艦隊のどの艦艇も、同じように民間人にスペースを用意しているのだ。
・・・ただ、乗り込むのが、大人か、乳児かの違いだけであった・・・。
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