こんばんは。

心屋認定カウンセラーのタケコです✨

22日は長女の6回目の命日でした。


亡くなった日のことをずっと書きたくて

でもうまく書けなくて、もう少し文章が

上手にまとまったら書こうと思っていました。


が、想いを乗せるのにはやはりタイミングも

あるなと思い、下手なまま書くことにしましたタラー


なっちゃんが幼稚園に入る年、やっと私は

長女で果たせなかった自分の夢を叶えられると

思いました。

でも、元々の自分の前提があるからでしょう

「ちゃんとやらなきゃ」

「長女の分までなっちゃんを幸せにしなきゃ」の

考えにとらわれてしまった。

そしてうまくいかない自分の子育てに悩み

心屋の考えに救われました。


そしたら今度はなっちゃんの不登校が始まり
 
またスタート地点に立たされた気になりました。


それでも、なっちゃんの気持ちを少しずつ

「あぁ、そう思ってるんだね」と思えるようには

ややなってきた、かな。

自分の心配を勝手に子どもに背負わせすぎて

いたんだな。

子どもを心配しているようで、本当は自分が

「ダメな人間」と思われるのが怖かった。



この前先生が来てくれた時クラスのお友達全員

からの手紙を持ってきてくれたんですよね。

ちょっと見せてもらったら、みんなそれぞれの

文面だったけど

「げんきになったらがっこうにきてね」

「こころのびょうきをなおしてね」とかが

多くて、

「あー先生はそうみんなに説明してるのか」と

わかってね。

実際に辛すぎてそうなる子はいるんだと思う。

ただ、なっちゃんは今そうじゃなくて元気だしね。

だからなっちゃん、全然うれしそうじゃ

なかったんだと思って 

「ママ、手紙読んだけど、なっちゃん心の

病気じゃないもんね。元気だし。

ただ行きたくないだけ、だよね?」と

言ったら、すごくうれしそうな顔で

「うん」と答えた。

そして、先生に私が聞かれた給食についても

「とめる」と自分で決めた。

正直ショックではあったけれど、たった7歳で

こんなにも強く学校に行かないと決められる

なっちゃんの意思の強さをすごいと思った。



長女の命日にあたり、いろいろな感情が蘇って

きて、20日に行ったオープンカウンセリングで

話しながら思い出したこと。


私、長女が大きい病院に運ばれて救命措置を

受けている時に

「どんなに重い障害が残ってもいいし

将来どんなに親不孝をしてもいいから

とにかく命を助けてください」って神様に

祈った。


あと、また長女が3歳の時に

「パパとママのけっこんしきのとき

なっちゃんといっしょにおそらから

みてたよ」と話してくれた胎内記憶の話も

思い出した。


長女となっちゃんはやっぱり最初からセットで

二人して、ただただ子どもが生きていて

くれるという幸せを私に教えに来てくれたんだと

思った。


そうだったなぁ、ただ子どもが笑っていて

くれることが私の望みだったんだよなぁ。

いつの間にか、たくさんのことを求めていたよ。

そして長女も、私が笑っている時を喜んで

くれていたんだった…。



23日は山芋の会。

長女の法要は一周忌でやめたから

3月に亡くなったじぃじと長女を、みんなで

ワイワイやりながら偲びたいと5年前に

私が始めた飲み会。

我が家は芋汁を準備し、みんなが持ち寄りで

美味しい物をモリモリ食べ、飲み、子ども達は

走り回ったりゲームをしたり。

今年は大人14人、子ども12人の計26人も

集まってくれた。


(写真は終盤、だいぶみんなリビングに移動してる)




高校受験を控えた甥っ子が2歳の子を

追いかけっこして遊んでくれたり

あまり家から出ないなっちゃんが

心から楽しそうに笑っている光景に

思わず泣けてくる。

ありがたいなぁ。



じぃじ達が繋いでくれた縁をこうして続け

大事にできている私たちだから

なっちゃんも、他の子も絶対大丈夫。

そうみんなで思えたあたたかい時間でした。