こんにちは。
心屋認定カウンセラーのタケコです。

22日は3歳で亡くなった長女の6回目の

命日でした。 


長女が亡くなった日のことを書きます。


6年前、長女は4月から通う予定だった

幼稚園の招待保育から帰ってきた昼過ぎ

家でお腹を痛がり、その後昼寝をしている

途中に嘔吐をした。

私は胃腸炎にかかったのだと思っていた。

夕方病院に行って、やはり胃腸炎だと

診断されて帰ってきた。

が、嘔吐は止まらず、駆け寄った時には

すでに息を引き取っていた。

原因がわからなかったが、昼過ぎに

お腹を痛がった時に、腸捻転を起こしていた

絞扼性イレウスだったことが後からわかった。


絶望とはこういう気持ちなのだろうと思った。

心臓をえぐられるとはこういう痛みなのだろうと

思った。


朝が来るのがこわかった。

娘が隣にいない日が来るなんて。

夢であったらいいのに。

世界を呪った。神様なんている訳がないと。


そして誰より自分を呪った。

どうして気づかなかったのか。

母親なのに。

あんなに痛がったのに。

どうして私に起こらなかったんだろう。

全部あげたのに。


医師に、病気の特徴でもある痛みが

繰り返さなかったこと

すぐ大きい病院に行っても助からないことも

多い病気であること


やはり始まりは胃腸炎で、娘の場合は

腸壁にひものような組織が生まれつき

できていて、3歳になり、さらにあの日

胃腸炎で腸がむくみ、ちょうどひっかかる

大きさになってしまったのだろう。

まさに寿命であったのだと思う、と

言われた。


3歳なりに友達や近所のお付き合いもしていたから

お葬式も大人と同じように、班の人に

手伝ってもらってやることにした。

お供えを申し出てくれた人には、お花を

お願いした。

でも、お花畑の中にいるようにしたかったから

名前の札は失礼ながら、外して横に

かざらせてもらった。

お線香をあげるのは辛すぎたので

かわいいキャンドルを持ってきてもらって  

一緒に飾った。


来てくれたお友達には、大好きだった

シャボン玉を出棺の時に吹いてもらった。

たくさんの人が来てくれて

ありがたくて

でも長女だけが

そこにいなかった。


葬儀の時、ふと長女が走り回っている

姿が見えた気がずっとしていた。

一年前に亡くなった義父が、迎えに来てくれて

一緒にいてくれていると思えたことだけは

心強かった。

肉体は無くなるけれど、ずっと長女は近くに

いるのだと義父の死を通して感じたおかげで

思うことができた。


「じぃじがいるから大丈夫だよ」とずっと

話しかけていた。


泣きながら、でも来てくれた人たちに

応対する私たちはとても立派だったと

後から言われた。



ずっと私は立派だと言われたいと

思っていた。

早く亡くなる子は魂のレベルが高い

人なんだとも言われた。


でも、そんなのどうでもいいから

ただ長女に生きていてほしかった。