♪ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ)
●私の事業所で支援学校、学級の実習を視野の「駄菓子屋コーナー」を併設していた頃だから、もう20年近くも前の話です。
栃木の4人の高校生の残虐な事件で親の心情を憂い、彼らはどんな環境で、どんな育ち方をしたのだろう・・と、ふと、小学生とのかつての出会いが思い浮かび、この記事を出しました。
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●支援学校の生徒さんたちの実習が午後2時で終了して彼らが学校に戻ると、その日の私は本来の仕事と店番を兼務。駄菓子屋の客は滅多に来ないので、店番は形式的のようなものだった。
だが、私が店番をする日に限って、夕方の決まった時間に一人で来る小学生の男の子がいた。いつも不機嫌そうで、靴のサイズが大きくて歩きにくそうなことも気になり、声を掛けてみた。
寡黙だと思っていた男の子は、意外にも即座に反応して、夕方に出勤する母親をバス停で見送って、その足で駄菓子屋に来た事がわかった。
不機嫌そうに見えたのは、母親と別れたことが寂しかったからだった。靴のサイズが合わないのは、誰かの「お下がり」で「今はこれしかないけど、後でお母さんが買ってくれるって」と言い訳をした。
●更に、母親がバスに乗る直前に男の子に「行ってくるね」と言いながら、50円玉を握らせてくれると教えてくれた。
幼い子供を残して夜の仕事に向かう母親が、50円玉と一緒に子供の手を強く握りしめる・・・母親の後ろ髪を引かれる思いを察すると、切なくなった。
彼が買うのは、当時10円の、うまい棒とヨグールかチロルチョコを50円分、と決まっていた。それを真剣に選ぶ姿が不憫に思った私は、咄嗟の思い付きで「この時間はタイムサービスで5個で40円」と50円硬貨を受け取って、10円のお釣りを子供に渡した。
そして「10円でも毎日貯金すると、お金持ちになれるかも」と言うと、子供が「本当?」と目を輝かせ、鼻をピクピクさせるので思わず私は笑って頷(うなづ)いた。
その後、私が質問も尋ねもしないのに、他愛のないことなど話すようになったのは、それからだったと思う。私は聞き役に徹し、特別なことは何も言わないようにした。
●そんなある日「もう来れないから」と男の子が言いに来た。新しくお父さんができたので、お母さんと一緒に遠い所に引っ越すのだそうだ。
「じゃあ、お別れに好きなお菓子プレゼントするよ」と言うと「欲しくても高くて買えなかったから」と当時100円のカプリコを選んだ。
「みんなが食べてると、いい匂いがするし、ずっと、これ食べたかったんだ」と喜んだ。そして「お母さんにも食べさせたいなあ」と遠慮がちに言うので1個追加すると満面の笑みを見せた。その笑顔から、夜遅くまで働く母親の背中を見て、真っすぐに優しく育った子供だと思った。
不機嫌そうだった男の子の弾んだ声を、その日に私は初めて聞いた。「これ食べたかったんだ」と我慢していた幼い子供の気持ちを思うと、いじらしくて胸が締め付けられそうになった。
そして、男の子の「誰かのお下がり」の靴の、「誰か」は、話の流れで、どうやら新しいお父さんの様に思えた。うまくやって行けるだろう。私は余計なお世話だが「新しいお父さん、どうぞ、よろしくお願い致します」と心の中でつぶやいた。
●駄菓子屋のオヤジの願いは、みんな、みんな幸せにな~れ。
いや、なれるさ、正直に真面目に生きてさえいれば、なれるとも!それを言ってやれば良かった、と後で思った気の利かないいつもの私でした。
♪素直になれなくて (シカゴ)
220714













