↑なぜ提案するのかw
私はおそらくこどもの頃から
やんちゃな子が苦手で、
うまく絡んだりいなしたり対等に付き合ったりすることが出来ないでいた。おそらく。
おそらく、と言うのは
同時に自分がやんちゃというか、特定のシチュエーションで場を支配するタイプで、
人間の集団がそこにあって、状況が許せば「味方」とまではいかない、そこまで強い色のグループではないにしろ囲い込み的な行動に出ていた記憶もあるので、主観と客観の間に相当のへだたりがあるでおろうことも想像にかたくない。わけで。
とにかく現状で、
元気だったり主張が強い子の相手をするのがあまり上手くない。
私の話が長過ぎて注意も提案も聞いてもらえないし、
(倒置法とか箇条書きとか間とかトーンとか発声のタイミングとか、さまざまな技術をみがきつつはあります。えらいな数年間の私。
でも本質的に、向いてはいない。無理はしていないけど)
つけいられる隙は存分にあるので、はたかれたり眼鏡取られそうになったりとかが稀にある。
されるのは構わなくて、
された時のとっさの対応。
自然にしていると悪手ばかり選択しがちなので、いくつか定型行動や、誰かの指示が欲しいところ。
それぞれの現場にそれぞれの理念と優先順位があるので、とっさにその場に一番ふさわしいふるまいをするのがちょっとむずかしい。
(そもそも自分が嫌なことをされないポジション取りとか、先に話しかけておいてこどもさんが話したい事を十分に話せている状態にもっていけるよう見計らったりなど、やれることは増えてきている。えらい。私。生涯発達💪)
「乱暴な子は嫌いだよー😡」
と言う道を選択するのもいい。
溺れすぎなければ怒りは嗜好品。
↑1ページも読んだ事無いのに勝手に
「こういう本でしょ」って使う。いくない💨
悪口は、別のコミュニティで少し出す分には
現状分析にもなるからさ。
「◯◯ちゃんは乱暴者だから苦手なんだよー」
と言うのと、
「◯◯ちゃんが今日すっごい良い遊びを繰り出してたんだ。すごく印象的だった。メモしときたい。次の時その遊びを発展させたい」
と言うのは矛盾しないはずなんだけど、
「私は◯◯ちゃんのこと嫌いなのに🥴」
ていうのが挟まると、両者併存しなくなる。こともあるかもしれない。自分が混乱するかもしれない。
にして、◯◯ちゃんを嫌いにならないでいると、
回り回って自分の健康に役立つかもな。
という仮説を立てつつあるだよ。
嫌い祭りとか悪口大会とかたまにはいいかもだけどさ。
元々、オチのある長い話を語るのが好きだしね。
話を遮られるのが嫌いだしね。元々。
「嫌い」でシャットアウトした世界の向こう側が、平らかなこころで見れるかもしれない。
未知の世界が、文化がかいま見れるかも。。。
……というようなことをうだうだ考える体力が徐々についてきたんだなあ、ありがとうピラティスの先生。
今日の夜はこれやってみるかあ……
さて、夕飯の買い物に行くかあ……